汐留パートナーズグループCEO 公認会計士前川研吾のブログ

コミュニケーションについて真面目に考えてみました

日々の出来事

Terada

皆さんこんにちは。久しぶりにブログ当番が廻ってきてウキウキしている寺田です。
税理士法人は12月決算と確定申告の準備で忙しくなってきております。
みんな体を壊さないとよいのだけど・・・。

今日はコミュニケーションについて書いてみようと思います。
突然ですが、我が家には愛犬(ふむふむ:女子)が住んでいます。
愛してやまない可愛い娘なのですが、彼女を私がこんなに愛してやまない理由を、コミュニケーションという分野から考えてみようと思います

私は犬語が話せません。何を考えているのかな?楽しいのか?つまらないのか?怒っているのか?
犬の言葉が話せたらなんて嬉しいのだろうと毎日のように思っています。

逆に犬はどうでしょう?もしかしたら私が犬の言葉を理解するよりも、犬は遥かに多くの人間の言葉を理解しているのではないでしょうか?お座り、伏せ、ごはん、散歩、ダメ!!などなど
なんで犬は人間の言葉を理解できるのでしょうか?私なりに考えてみました。
それはきっと 相手とコミュニケーションを取りたいと強く思う気持ちが言葉を理解することを可能にしたり、相手の表情や声のトーンから多くのことを感じ取ろうとし、その人の心に寄り添って暮らしているからかもしれません。
言葉は完全に分からない。だから相手のことを理解しようと努力する。そして言葉がないからそれ以上は深く考えないのではないでしょうか?
それを考えると犬って実にシンプルだなぁと思います。

これを人間関係に置き換えてみるとどうでしょうか?
人間は言葉が発達しているからこそ、相手の表情から読み取れることを疎かにしがちになります。そして間違って読み取ったことを深く考える。言葉があるからコミュニケーションが更に取りやすいはずなのですが、逆に聞くのが怖かったりして聞かないことを想像して誤解することってありませんか?
使える力が多いということは使える能力が限られているより複雑になってしまうのかもしれませんね。

だからこそ、もう一度 相手の心に寄り添い、言葉にならない声を感じる努力をして心に届く言葉の選び丁寧に人と人との関係を築いていきたいと思う今日この頃です。

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おめでとうございます♪

日々の出来事

こんにちは。
まだまだ寒い日が続いておりますが、2月もあと1週間で終わってしまいます!

津村さんのご結婚が決まって、北海道にいってしまうことになったので、もう会えないかと思っていたのですが…来週は、津村さんとご飯に行けることになりました!今とても楽しみで喜んでいます。

入社初日に歯みがきしながら話をして、緊張をほぐしてくれたこと、一緒にランチに行ったこと、悩みを聞いてくれたこと、クリスマスと前川先生のお誕生日にケーキを作ってくれたこと…昨日のことのように思い出してしまいます。
短い間しか一緒にお仕事ができなかったけれど、私にとって、とてもうれしい出会いとなりました。いつも優しく愛いっぱいに接してくれた、お姉さんみたいな存在です。
津村さんの言葉に何度も心を軽くしてもらっていました。

引き継ぎも丁寧に教えて下さって、ありがとうございました。
会計税務部に加え、管理部のお仕事も、これから幅広く任せて頂けるよう、がんばっていきます。

本当にご結婚おめでとうございます!
素敵な旦那さまと、いつまでもお幸せに♪

endo

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減価償却と記憶価値

「減価償却」という言葉をどこかで聞いたことのある方は多いのではないでしょうか。これは時間が経てば経つほど物の価値は下がっていく、ということを表現する会計用語です。

これは私たちの常識的な感覚に非常によくマッチしています。たいていの場合、私たちは中古品よりも新品を欲しがるものです。マイホームの価値は中古よりも新築ほうが高くなりますし、映画や小説の主人公は、老人よりも若者のほうが多いものです。また若いときには引っ張りだこだった歌手や芸能人が、加齢とともに見向きもされなくなり、いつの間にかひっそりと消えていくのも、世の中が常に新しいものや若いものに価値を見出しているからに他なりません。

それでは物の価値というものは、時間が経つにつれて下がる一方なのでしょうか。もしそこに例外があるとすれば、それは「記憶価値」ではないかと思います。例えば「くまのぬいぐるみ」という児童向けの歌があります。

この歌では、「経済的」にもはや無価値となったぬいぐるみが、最期に持ち主との記憶を蘇らせるシーンが描かれています。ここには「減価償却」という経済的な価値の劣化に対抗する何かの力が作用しているように思われます。

ある物を長く使えば使うほど、そこには自分とその物の間に長い時間が共有されていきます。こうした日々の生活の中で、私たちの記憶には、その物と一緒に泣き笑い共に過ごした無数の思い出が蓄積されていきます。するとこうした無数の記憶が、いつの間にかその物の中に宿っていき、ふとその物を見るだけで昔の自分の姿を思い出させてくれるようになるのです。

このように記憶が結晶化した物は、もはや単なる「物」としての次元を超えて、持ち主にとってかけがえのない神聖な価値──たとえ他人にはガラクタにしか見えなくても──を帯びるようになります。「減価償却」に対抗するこの価値のことを、私は「記憶価値」と呼んでいます。

もしかすると、物の価値というものは、単なる経済的な価値──新しいものにこそ価値がある──という発想だけでは不十分かもしれず、そこには共に過ごした人々の「記憶価値」という目に見えない価値があることに思い至ることで、より一層深く理解できるようになるのかもしれません。

tatabe

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