1. GHGプロトコルの定義と目的
GHGプロトコルは、温室効果ガス排出量の測定・管理に関する基準を策定し、その活用を支えている枠組みです。その対象となるのは、民間企業だけでなく、公共部門やバリューチェーン全体、さらには各種の緩和策まで含まれています。本プロトコルは、排出管理のために包括的で標準化されたフレームワークを提供し、主な基準は以下のとおり:
- Corporate Standards (企業向け基準)
- GHG Protocol for Cities (都市向けプロトコル)
- Mitigation Goal Standard (削減目標評価基準)
- Corporate Value Chain (Scope 3) Standard (サプライチェーン基準)
- Policy and Action Standard (政策・施策評価基準)
- Product Standard (製品基準)
- Project Standard (プロジェクト基準)
これらの基準は、企業・政府・その他の組織が、自らの使命や目標の達成を視野に入れながら、温室効果ガス排出量を適切に測定・報告できるよう設計されています。
GHGプロトコルは、世界資源研究所(WRI)と持続可能な開発のための世界経済人会議(WBCSD)の20年以上にわたる協働体制のもとで整備され、政府、業界団体、NGO、企業など多様なステークホルダーとの対話を通じて発展してきました。その結果、現在では、世界で最も広く利用されている温室効果ガス会計基準として位置付けられています。
こうした国際的に一貫した基準が求められる背景には、企業のGHG会計・報告の前提を揃えなければ、削減努力の比較や評価が難しくなるという課題があります。GHGプロトコルは、排出削減が可能な重点分野(削減レバー)を特定し、気候変動対策の実施状況を継続的にモニタリングできるようにすることで、各組織のシステム整備を後押しします。また、共通ルールに基づき測定・報告することで、セクターや国・地域を越えた結果の比較を可能にし、ESG開示基準や各国制度との接続も円滑にします。企業や組織は、この枠組みに基づいて自社およびバリューチェーン全体の排出量を可視化することで、脱炭素戦略の立案と投資家・ステークホルダーへの説明責任の双方を果たしていくことが期待されています。
2. WRI/WBCSDと協働体制
GHGプロトコルは、単一の国や機関が独自に作り上げた基準ではなく、世界資源研究所(WRI: World Resources Institute)と持続可能な開発のための世界経済人会議(WBCSD: World Business Council for Sustainable Development)が、約20年以上にわたり共同で整備してきた国際的な枠組みです。両者はいずれも、気候変動や資源制約といった地球規模課題に対し、企業の行動や情報開示のあり方をリードしてきたプレイヤーであり、その知見とネットワークがGHGプロトコルに集約されていると言えます。
1990年代後半から2000年代初頭にかけては、各国・各企業が独自の方法で温室効果ガス排出量を計測・報告していたため、数値の比較が難しく、投資家や政策当局が十分に活用しにくいという課題が顕在化しました。そこでWRIとWBCSDは、企業、金融機関、NGO、政府など多様なステークホルダーを巻き込みながら、自社の排出範囲をどこまでとするのか、どの活動をどのスコープに区分するのかといった共通ルールの策定に乗り出しました。
こうした対話と実証を積み重ねる中で生まれたのが、現在広く用いられているスコープ1・2・3の考え方です。自社が直接排出する分(スコープ1)、購入した電力等に伴う排出(スコープ2)、サプライチェーン全体や製品使用・廃棄まで含めた間接排出(スコープ3)を分けて捉える枠組みは、企業活動を自社の境界を越えて評価するための共通言語として定着しました。その後も、企業会計版、プロジェクト版、バリューチェーン基準、都市や政策向けのガイドラインなど、用途に応じた補完的な基準が継続的に整備され、現在も改訂が続けられています。
このようにGHGプロトコルは、WRIとWBCSDが長年にわたり科学的知見と企業実務の両面から磨き上げてきた温室効果ガス会計の土台と位置付けられます。今日、IFRS S2や各国の気候関連開示制度、サプライチェーンの排出データ要求の多くがGHGプロトコルを参照しているのは、こうした長年の協働を通じて、グローバルに受容された標準として成熟してきた結果であると理解できます。
3. GHGプロトコルにおける7つの基準
GHGプロトコルには、用途や対象に応じて複数の基準が用意されています。ここでは、代表的な7つの基準について概要を整理します 。
【Corporate Standards(企業向け基準)】
Corporate Standardsは、企業が自社の温室効果ガス排出量を一貫した方法で測定・報告するための中核的な基準です。スコープ1・2・3の考え方もここで整理されており、どこまでを自社の排出とみなすのか、どの活動をどのスコープに区分するのかといったルールを提供します。上場企業の気候関連開示や、サプライヤーへの排出データ要求など、多くの実務で前提となる企業会計版GHGプロトコルと位置付けられます。
【GHG Protocol for Cities(都市向けプロトコル)】
GHG Protocol for Citiesは、都市や自治体を対象とした基準です。交通、建物、廃棄物、産業活動など、都市全体の排出源を網羅的に捉え、自治体としての排出インベントリを作成するための指針を提供します。国レベルだけでなく、都市レベルでのネットゼロ宣言や気候行動計画が増えるなか、都市間で排出量を比較し、削減目標や施策の効果を検証するための共通ルールとして活用されています。
【Mitigation Goal Standard(削減目標評価基準)】
Mitigation Goal Standardは、国や自治体などの政府主体が掲げる温室効果ガス削減目標を対象とした基準であり、企業はこれを参考に応用的に用いることもできます。基準年型、絶対量削減型、原単位目標など、さまざまな目標のタイプを比較可能な形で整理し、その目標が実質的にどの程度の削減を意味するのか、進捗をどのように測定するのかを明確にします。パリ協定に整合した目標設定や、SBT(科学的根拠に基づく目標)との接続を検討する際の土台にもなります。
【Corporate Value Chain (Scope 3) Standard(サプライチェーン基準)】
Corporate Value Chain (Scope 3) Standardは、スコープ3、すなわちサプライチェーン全体の排出量を整理するための専用基準です。上流・下流を合わせて15カテゴリー(購入した製品・サービス、輸送、出張、通勤、使用段階、廃棄、投融資など)に区分し、どのカテゴリーを対象とし、どのように算定すべきかを示します。多くの企業にとって排出量の大半を占めるのはスコープ3であり、この基準はサプライヤーとの連携や製品設計の見直しなど、バリューチェーン全体の脱炭素を進めるうえで不可欠なツールとなっています。
【Policy and Action Standard(政策・施策評価基準)】
Policy and Action Standardは、政府や自治体、国際機関などが実施する気候関連政策・施策の効果を評価するための基準です。炭素税、再エネ支援制度、エネルギー効率規制、補助金制度など、個別の政策や複数施策の組み合わせによって、どの程度の排出削減効果が見込まれるのかを定量的に評価する枠組みを提供します。政策立案や見直しの際に、どの施策がどの程度の効果を上げているのかを高い透明性をもって説明するための共通言語として位置付けられています。
【Product Standard(製品基準)】
Product Standardは、特定の製品やサービスのライフサイクル全体にわたる排出量(カーボンフットプリント)を算定するための基準です。原材料調達、製造、輸送、使用、廃棄・リサイクルまでを一連の流れとして捉え、この製品を1ユニット提供することでどれだけの温室効果ガスが排出されるかを評価します。環境配慮型製品の開発、エコラベルや環境宣言、顧客へのGHG情報提供などに活用され、製品レベルでの差別化や改善・イノベーションの方向性を示す役割を担っています。
【Project Standard(プロジェクト基準)】
Project Standardは、再生可能エネルギー事業、省エネプロジェクト、森林保全プロジェクトなど、個別の気候変動対策プロジェクトから生じる排出削減量や吸収量を評価するための基準です。プロジェクトが存在しなかった場合(ベースライン)との比較や、追加性、リーケージ、恒久性といった論点を整理し、炭素クレジットの発行やオフセットの信頼性を担保する枠組みとして利用されます。プロジェクトファイナンスやカーボンマーケットにおいて、実際にどの程度の削減が実現しているのかを示すための評価軸を提供します。
これらの基準は、対象や用途こそ異なりますが、いずれもGHGプロトコルという共通の思想とルール体系のもとで設計されています。企業単体から都市、国の政策、製品やプロジェクトに至るまで、さまざまなレベルの温室効果ガス排出を一貫したロジックで測定・管理できるようにすることが、これらの基準群に共通する狙いだと言えるでしょう。
4. まとめ
本稿で見てきたように、GHGプロトコルは、世界資源研究所(WRI)と持続可能な開発のための世界経済人会議(WBCSD)が、多様なステークホルダーとの協働を通じて磨き上げてきた国際基準です。
この枠組みは、スコープ1・2・3をはじめとする標準化された温室効果ガス会計のフレームワークを提供し、企業や政府、都市、金融機関が共通の土台の上で排出量を測定・管理できる環境を整えています。その結果、国やセクターを超えた比較可能性が高まり、脱炭素戦略の立案やESG開示、投資判断において、どの組織にとっても避けて通れない参照点となりました。
そして現在、GHGプロトコルは作業検討部会(TWG)において改訂が進められており、2027年を目途に最終化される見通しです(Actions and Market Instrumentsは2028年末予定)。
改訂案では、Scope2におけるロケーション/マーケット基準の継続に加え、すべての証書を時間単位でマッチさせることを要求するアワリーマッチングや、すべての証書が、供給可能と見なされる発電源から調達されていることを要求するデリバラビリティといった新たな考え方が導入され、SBTi等の枠組みとの整合も図られています。また、Scope3では一部算定が任意から義務へ移行する議論が進み、算定根拠やデータ管理の重要性が一層高まっています。
今後は、必須化が想定される項目を中心に算定体制やデータ取得の準備を進め、改訂動向を継続的に注視することが、気候変動対応とサステナブルな企業経営に向けた重要な出発点となるでしょう。
