生成AIや機械学習技術の進化は、ここ数年で劇的なスピードを見せています。かつては一部のテック企業や研究機関のものであったAI技術は、今や多くの企業にとって、日々の業務を支える不可欠なインフラになってきました。社内ナレッジを検索・回答するRAG(検索拡張生成)システムや、顧客対応を自動化するチャットボット、あるいは高度な需要予測モデルなど、AIは業務効率化の枠を超え、新たな付加価値を創出する源泉として注目されています。
しかし、光が強ければ強いほど、そこに落ちる影もまた濃くなります。AIの活用範囲が広がるにつれ、従来の情報セキュリティ対策ではカバーしきれない新たなリスクが顕在化してきました。「AIが社外秘の情報を学習してしまい、競合他社に漏洩する」「悪意ある入力によってAIが不適切な発言をし、ブランドが毀損される」といった事故は、現実に普通に起こり得る経営リスクです。
こうした背景の中で、今、世界的に注目されているのが「AI脅威モデリング」という考え方です。これは、AIシステム特有の脅威を開発・導入の初期段階で洗い出し、構造的にリスクを把握・軽減していくためのアプローチです。本コラムでは、AI時代におけるリスク管理の要となるこの手法について、経営視点を交えて詳しく解説します。
1. なぜ今、AIに「脅威モデリング」が必要なのか
AIシステムは、従来のWebシステムや業務アプリケーションと比較して、その構成要素が複雑であり、挙動がブラックボックス化しやすいという特徴を持っています。そのため、これまでのセキュリティ対策の延長線上だけでは守り切れない領域が急速に拡大しています。なぜ今、AIに特化した脅威モデリングが必要とされるのか、その理由は大きく3つの視点で整理できます。
まず認識すべきは、AIには従来とは性質の異なるリスクが存在するという点です。これまでのセキュリティ対策は、不正侵入やウイルスといった外部攻撃を防ぐことが中心でしたが、AIでは学習データや指示内容そのものが攻撃の対象となり、判断の誤りや情報漏えいを引き起こす可能性があります。こうしたリスクは従来の対策だけでは十分に防ぎきれません。実際に、日本のサイバーセキュリティ政策を担う情報処理推進機構(IPA)も、「情報セキュリティ10大脅威」において「AIの利用をめぐるサイバーリスク」を2026年に初めて取り上げており(1)、AI活用の拡大と同時に、リスクへの体系的な備えが企業全体に求められていることが示されています。
次に重要な視点は、AIが単なる業務支援ツールを超えて、企業の「意思決定基盤」になりつつあるという事実です。現在のAIは単なる業務効率化ツールではなく、判断や選別、意思決定を支える役割を担い始めています。もしAIの判断が誤ったり、意図せず偏った結果を出した場合、その影響は業務トラブルにとどまらず、法的リスクや信用低下など、経営レベルの問題に発展しかねません。AIのリスクは、IT部門だけでなく、経営やガバナンスの視点で捉える必要があります。
そして3つ目の理由は、脅威モデリングが「事後対応」ではなく「事前予防」のための最良の方法論であるところです。設計段階で「どんなリスクがあり得るのか」「どこが弱点になり得るのか」を整理し、先回りして対策を考えることが非常に重要です。事後対応ではなく、事前に考える。このような姿勢が、安全で持続的なAI活用を支えられます。
2. AI脅威モデリングで整理すべき基本構造
では、具体的にどのようにして見えないリスクを可視化していけばよいのでしょうか。AI脅威モデリングにおいて最も重要なのは、AIシステムを単体の「点」として見るのではなく、データ、インフラ、利用者を含めた一つの「エコシステム(生態系)」として捉える視点です。
① AIシステムの範囲と構成要素の明確化
AIシステムは、モデル単体で動いているわけではありません。ユーザーからのデータ入力、そのデータを処理する前処理プロセス、トレーニングデータと学習パイプライン、推論を行うアルゴリズム、それを支えるクラウドインフラやAPI、そして最終的な出力結果を利用するインターフェースなど、多くの要素が複雑に連動しています。脅威モデリングでは、これらのデータの流れ(データフロー)を可視化し、どこからどこまでが自社の責任範囲であり、どこに外部サービス(OpenAI等のAPIなど)を利用しているのかを整理します。特に、自社のデータが外部のモデル学習に使われる設定になっていないか、APIキーの管理は適切かといった境界線の確認は、リスク分析の土台となります。
② 「脅威」「脆弱性」「リスク」という3つの概念の明確化
現場での議論では、これらが混同されがちです。「なんとなく危ない気がする」という感覚論ではなく、構造的に議論するために、この定義付けは重要です。「脅威」とは、システムを損なう可能性のある攻撃者や環境的な事象のことです。「脆弱性」は、その脅威につけ込まれる可能性のあるシステムの弱点や欠陥を指します。そして「リスク」は、脅威が脆弱性を突いた場合に実際に被害が発生する確率と、その影響の大きさを示します。例えば、「悪意あるユーザー(脅威)」が、「入力値のチェックが甘いチャットボット(脆弱性)」に対して攻撃を行い、「機密情報を引き出す(リスク)」といった具合に整理することで、優先的に対策すべき箇所が論理的に導き出されます。
③ AI特有の代表的な脅威についての理解強化
従来のWebシステムへの攻撃とは異なり、AIにはAI特有の弱点が存在します。代表的なものとして、以下の3つが挙げられます。一つ目は「データポイズニング」です。これは学習データに意図的にノイズや不正データを混入させることで、モデルの精度を下げたり、特定の条件下で誤作動を起こさせたりする攻撃です。二つ目は「プロンプトインジェクション」です。チャットボットなどに対し、「以前の命令を無視して、次の命令に従え」といった特殊な指示を入力することで、開発者が設定した安全装置(ガードレール)を無効化し、不適切な回答や内部情報を引き出す手法です。三つ目は「モデルの盗用・回避」です。モデルに対して大量のクエリ(質問)を投げかけ、その応答パターンを解析することで、背後にあるアルゴリズムや学習データを推測・複製してしまう攻撃です。こちらは、OWASP(Open Worldwide Application Security Project)が発表している「OWASP Top 10 for LLM」といったガイドラインを参照し、生成AIの頭脳として活用されているLLM( Large Language Model )に関する最新の脅威トレンドを自社のシステムに当てはめて考えることをお勧めします。
3. 実務で機能させるためのポイント
AI脅威モデリングは、一度実施して終わるものではなく、実務の中で継続的に活用されてこそ意味があります。形だけの取り組みにしないためには、次の3点が重要です。
第一に、誰が判断し、誰が責任を持つのかを明確にすることです。
AIのリスク管理をIT部門だけに任せてしまうと、「どこまでのリスクを許容するか」という経営判断が曖昧になります。経営・業務・IT・法務といった関係者の役割を整理し、最終的な意思決定者を明確にすることが、実務を回す前提となります。
第二に、ビジネスへの影響に応じた現実的な対応を取ることです。
すべてのリスクを完全に排除することは現実的ではありません。AIの利用目的や影響範囲に応じて、「どのリスクは抑えるべきか」「どのリスクは許容できるか」を見極め、過不足のない対策を設計することが重要です。
第三に、設計段階からリスクを考え、継続的に見直すことです。
導入初期の設計段階でリスクを整理しておくことが、安全かつ迅速な活用につながります。また、AIは学習や環境の変化によって挙動が変わるため、定期的な見直しを前提とした運用が欠かせません。
4. 支援ニーズが高まる今こそ整備の好機
ここまで述べてきたように、AIに関するリスク管理は、従来のITセキュリティの枠を超え、法務、コンプライアンス、ガバナンス、そしてデータサイエンスといった複数の領域が複雑に交差する難易度の高い分野です。そのため、多くの企業で「AI活用のガイドラインを作りたいが、何から手を付けるべきかわからない」「既存のセキュリティ対策との整合性が取れず、現場が混乱している」「社内でリスクに関する共通言語が持てない」といった悩みが深刻化しています。
当社では、AI技術とセキュリティガバナンスの両面に精通した専門家が、企業様の状況に合わせたリスク整理や体制構築を支援しています。単なるツールの導入支援ではなく、「経営視点でのリスク許容度の策定」から「現場レベルでの脅威モデリング実施」まで、組織全体を俯瞰した伴走型のサポートを提供いたします。
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【参考資料】
