TNFD提言の理解と実践:その2・自然関連財務情報開示の実践
2025年5月30日
自然関連リスクと機会
TNFDの提言は、その1でも触れたように、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)を基礎にし、さらに国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)にも準じ、ひいては、SSBJの基準、またGRI基準も踏まえたものとなっており、そうした基準と整合する文言、構成が、アプローチが用いられています。これは何を意味するのでしょうか?
一言でいえば、企業の財務的影響と、企業活動が自然や社会に与える影響の両方を考慮する基準になっています。いわゆる「ダブルマテリアリティ」(つまり、2つの重要性に関する判断基準)の考え方が導入されています。逆にいえば、このダブルマテリアリティを用いることで、上記のようなTCFDからGRIに至るまでの世界各地の法域で現在採用されているマテリアリティがカバーされることになります。財務的評価という1側面だけではなく、それに加えて、企業の自然や社会に与える影響に対する評価も考慮に入れるという、2つの側面が、重視されるということになります。
特にTNFDでは、財務的視点から自然環境の変化(たとえば気候変動や生物多様性の劣化)が、企業に与える財務的リスクや影響を評価することに留まらないということ。企業の自然に対する「依存」と、企業が自然に対して及ぼし得る「影響」(自然に対して企業が引き起こす、または寄与するもの)を特定する必要があるということ。こうした「リスク」に対して、企業による自然への負の影響への緩和策も含めて「機会」を捉え、マテリアリティ(重要)情報の開示が求められることになるということです。
以上を前提に、実際にTNFD対応の実践的な側面から、「自然関連リスクと機会」の情報開示の基礎に関わる部分で次のような点を留意して対応していく必要があるといえるでしょう。
- TNFDでいう自然とは自然界全体を指し、人間を含む生物の多様性、生物間の相互作用、環境との相互作用に重点を置きます。これに関してTNFDでは、4つの領域「陸、海洋、淡水、大気」を捉えるように指定されています。この4つの領域について、企業や人間がどのように自然に依存し、影響を与えているかを理解した上で、診断する必要があります。
- 「依存と影響」の診断において、個々を明らかにするだけでなく、TNFDの提言では「依存と影響は相互に影響し合い、時間の経過とともに複合化する」ことに留意が必要とされています。
実践に向けたステップ
ここでは実践に向けたステップとして、TNFD提言書およびそのガイダンス資料に基づき、TNFD対応において基本的に必要になる開始準備ステップと、特にパイロットテストに基づいて引き出された「TNFD対応上重要になる視点」に加え、実際に文書を作成していく上での「一般的要件」を、下記にまとめておきます。
【開始準備ステップ】
- 自然の基盤について理解を深める
- 自然に対するビジネスケースを策定し、取締役会や経営陣の賛同を得る
- 今目の前にあるものから開始し、他の仕事も活用する
- タイムラインに沿って進捗計画を立て、その計画とアプローチについて、社内でコミュニケーションを図る
- 社内全体の関与を推進する
- 進捗についてモニタリングし、評価する
- TNFD採用の意思を登録する
【TNFD対応上重要になる視点】
- 反復的なアプローチを取ること。
- LEAPアプローチ(本コラムの前号その1参照)の各段階を通じて、何が重要であるか、何が可能であるかを学ぶこと。
- スコープを再評価し、修正することを厭わないこと。例えば最初のスコーピングでは優先度が高いと考えられていた分野や地域は、ステークホルダーの関与やアセスメントを通じて、あまり適切でないと特定されるかもしれない。
- 多様なスキルや専門知識を調達することは質を向上させることができる。地域コミュニティの関与を通して、補完的で有用な洞察や視点を提供することができる。
- 内部の関与とクロスチェックが鍵。
- 複数の社内チームと連携すること、複数の社内チーム(例えば、サステナビリティ、調達、リスクなどに関わるチーム)をよりよく理解すること。
【一般的要件】
実際に文書作成に向けて準備をはじめる上で、TNFD開示提言の4つの柱、つまり1.ガバナンス、2.戦略、3.リスクと影響の管理、4.測定指標とターゲットすべてに、下記のような項目について記載すること、または記載方法に留意することが求められています。
- マテリアリティ(重要性)の適用
採用したマテリアリティ・アプローチを明示すること。 - 開示のスコープ
自然関連の評価と開示のスコープ、およびそのスコープを決定する際にたどったプロセスを開示すること。特に関連のデータの制約や複雑さに鑑み、次のものを含めて説明すべきとされている。- 組織の直接操業および上流と下流のバリューチェーンにおける活動と資産を、自然関連の依存、影響、リスクと機会について評価したもの
- 何を評価し、その結果として何を開示するかというスコープを決定する際にたどったプロセス
- 自然関連課題がある地域
組織と自然との接点の地理的位置を開示すること。このことは、自然に対する依存と影響が特定の生態系で生じることを認識し、自然関連課題を評価する上で不可欠。 - 他のサステナビリティ関連の開示との統合
自然関連の開示は、可能な限り、他のビジネスやサステナビリティに関連する開示と統合し、報告書利用者に組織の財務的な状況と見通しを統合的かつ全体的に示すこと。特に、組織は気候と自然に関する行動とターゲットの間の整合性、相乗効果、寄与、起こりうるトレードオフを明確に特定すること。 - 検討される対象期間
組織は、組織の資産やインフラの耐用年数や、自然関連のリスクと機会はしばしば中長期的に顕在化するという事実を考慮し、関連する短期、中期、長期の対象期間としてどのようなものを考えているかについて説明すること。 - 組織の自然関連課題の特定と評価
自然関連課題を確実に特定し、評価し、管理するためには、人との効果的で有意義なエンゲージメントが重要な要素となることに留意すること。 - 先住民族、地域社会と影響を受けるステークホルダーとのエンゲージメント
自然関連課題を確実に特定し、評価し、管理するためには、人との効果的で有意義なエンゲージメント(関与)が重要な要素となることに留意。- 伝統的知識・経験も含め、彼らの知識は、組織が自然関連の依存、影響、リスクと機会を特定、評価、管理するための貴重な情報源となりうる。
- 組織は直接操業とバリューチェーンにおける自然関連の依存、影響、リスクと機会における懸念と優先事項に関し、先住民族、地域社会と影響を受けるステークホルダーの参加を得るためのプロセスについて説明する必要がある。
国内外の先進事例
一言で先進事例といっても選別するのは難しいため、ここでは、TNFDの「Adopter」として登録され、情報開示においてLEAPなどを使って確実に報告し、かつ地域連携に関する取り組みを明確に報告している国内外の例をご紹介します。なぜ、ここに地域連携を入れているかといいますと以下のような背景があります。
上記の一般的要件でいえば、地域連携は、「7)先住民族、地域社会と影響を受けるステークホルダーとのエンゲージメント」に相当するところに関連します。TNFDの開示項目でいえば、本TNFDシリーズ・その1で記載したガバナンスの項目に、「③自然関連の依存、影響、リスクと機会に対する組織の評価と対応において、先住民族、地域社会、影響を受けるステークホルダー、その他のステークホルダーに関する組織の人権方針とエンゲージメント活動、および取締役会と経営陣による監督について」開示が要件になっていることに関連します。日本の企業の文脈では、先住民族より地域社会というのが身近であるといえると思いますが、その地域社会と組織との関係性を明確に記載することが、実はTNFDの1つの特徴となっているのです。一方で、TNFDの実施状況に関連して、世界経済年次会議(ダボス会議)で、この部分が鍵になると言われているように、言い換えると、この部分をしっかり開示報告している企業は未だ少ないと見ることができます。
上記の理由から、情報開示においてLEAPなどを使って確実に報告し、かつ地域連携に関する取り組みを明確に報告している国内外の例をご紹介します。
- 伊藤忠商事株式会社(日本)
TNFD Adopter登録状況:登録済み。
情報開示の特徴:TNFDのLEAPアプローチに基づき、自然資本への依存と影響を評価し、リスクと機会を特定。生物多様性保全に関する具体的な取り組みを詳細に開示しています。
地域連携の取り組み:
- 滋賀県との協働:滋賀県および滋賀県立琵琶湖博物館と連携し、絶滅危惧種「アユモドキ」の保全プロジェクトを実施。
- 小笠原諸島での活動:認定NPO法人エバーラスティング・ネイチャー(ELNA)と協力し、アオウミガメの保全活動を支援。
- ボルネオ島での森林再生:WWFおよび現地政府と連携し、熱帯林の再生および生態系の保全活動を展開。
- 東急不動産ホールディングス株式会社(日本)
TNFD Adopter登録状況:登録済み。
情報開示の特徴:TNFD提言に基づき、ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標の各項目について詳細に開示。LEAPアプローチを活用し、自然資本への依存と影響を評価しています。
地域連携の取り組み:
- 蓼科地域での活動:長野県蓼科地域において、地域循環型リゾート「TENOHA蓼科」を開発。地域の森林資源を活用し、地域コミュニティと連携した持続可能な観光地づくりを推進。
- 渋谷区での取り組み:広域渋谷圏における生態系ネットワークの形成を目指し、建物緑化や生物多様性に配慮した都市開発を実施。
- スワイヤー・プロパティーズ(Swire Properties)(香港)
TNFD Adopter登録状況:TNFDのEarly Adopterとして登録され、香港で初めてTNFDフレームワークを導入した企業の一つです。
情報開示の特徴:2023年のサステナビリティ報告書において、TNFDのLEAPアプローチに基づき、自然資本への依存と影響、リスクと機会を評価し、詳細に開示しています。
地域連携の取り組み:
- 太古坊(Taikoo Place)再開発プロジェクト:約70,000平方フィートの緑地と水辺空間を追加し、地域の生態系と住民の生活環境の向上を図っています。
- 地域コミュニティとの協働:香港大学や地元のNGOと連携し、自然関連リスクの管理と生物多様性の保全に取り組んでいます
TNFDの可能性と課題
上記3.を踏まえると、TNFDの目玉の1つとなっている地域連携との関係性について、企業によってはしっかり向き合っている企業があるということは、従来の生物多様性への取り組みが皮相的なものになりかねなかった状況に対して、その1に示したTNFDの意義に関連して1つの可能性を示すものであるといえるでしょう。
その地域連携以外に、もう一つTNFDで大々的に謳われてはいないものの特徴の一つになっているのが、本TNFDシリーズのコラム「TNFD提言の理解と実践:その1・自然関連財務情報開示の概要と意義」で取り上げた、TNFDの柱・戦略⑥「自然関連のリスクと機会に対する組織の戦略のレジリエンスについて、さまざまなシナリオを考慮して説明」に関する箇所です。「サステナビリティ開示基準」(ISSBやSSBJ)では、大々的に謳われていますが、その前例になっているのがTNFDのこの箇所になります。しかし全体的に未だこの箇所について開示の中身が薄いとされています。
こうした、特に大企業には今まで馴染みのなかった地域連携やレジリエンスについて、全社的に理解を深めて社内に浸透させていくことが、コラムその1で扱った全体的な課題に加えて(たとえば、データ不足と精度のばらつき、評価手法の統一性欠如、人的リソースと専門性の不足、経営層の関与の薄さ)、大きな課題になっているといえるでしょう。これらを克服することが、TNFD対応の重要なポイントになっていくと考えられます。