自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)は、企業や金融機関が自然関連課題を特定・評価・管理し、適切に開示するための枠組みです。
本記事は、TNFD提言の内容と実践方法を全5回で解説するシリーズの第1回です。第1回では、TNFDの概要と意義、提言を構成する4つの柱、LEAPアプローチ、企業の対応状況などを取り上げます。
1. TNFDとは|なぜ今求められているのか
自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)は、あらゆる規模の企業と金融機関に対し、自然関連課題を特定し、評価し、管理し、そして適切な場合は開示するためのリスク管理と開示の枠組みを提供することを目的としています。しかし、この表現だけではTNFDの本質的な意味合い、すなわち「なぜTNFDなのか」を幅広く企業の担い手に伝えることは難しいでしょう。そこに近づくために、「自然関連財務情報開示タスクフォースの提言」(2023年9月)の序文にあるTNFD共同議長のメッセージに着目してみましょう。
「地球上のすべての生き物の未来、そして私たちの将来の繁栄は、自然のレジリエンスにかかっている。自然の減少は私たちの社会の安全を脅かし、気候変動への緩和・適応能力を含め、ビジネスや投資家にとってのリスクを増大させる。自然界と生物多様性のレジリエンスを持続的に向上させることは、現在と将来の世代の繁栄を確実にするために不可欠である。(中略)将来のキャッシュフローは、自然がもたらすこれらの生態系サービスのレジリエンスにかかっている。9つのプラネタリーバウンダリーのうち6つがすでに限界を超え、気候変動のみならず、自然リスクが財務リスクであることがますます明らかになっている。現状維持はもはや実行可能な選択肢ではなく、自然は企業の社会的責任(CSR)の問題ではなく、戦略的リスク管理の問題として捉えられなければならない。」
このメッセージは、「なぜTNFDか」に直球で答えているように思われます。少し言葉を加えて解説してみましょう。
自然は本来、何らかの外的変化が起きても適応する力を備えており、自然システムの中で再生する力、すなわちレジリエンスを有しています。しかし、長年にわたり人間が自然界に過度に介入し続けてきた結果、自然はそのレジリエンスを失いかけているという事実があります。その事実は、世界の科学者たちによる長年のさまざまな科学的検証によって示されてきました。
上述されているプラネタリーバウンダリーは、2009年にストックホルムの環境学者ヨハン・ロックストロームを中心とする研究グループが始めたもので、まさにその科学的検証を国際社会に示し、警鐘を鳴らしてきた代表的なものの一つです。生態系、水・森林環境などが本来持っているレジリエンス、この場合は自然に回復する力が限界値を超えると、壊滅的な状態に達する危険性があります。そこで、気候変動、生物圏の一体性損失(生物多様性の喪失と種の絶滅)、土地利用の変化、海洋酸性化、新規化学物質を含む9つの領域について限界値を設定し、現状を数値で示しながら更新し続けてきたのです。この「プラネタリーバウンダリー(Planetary Boundaries)」の研究を踏まえ、すでに生物圏の一体性損失などについて、生物の絶滅速度は取り返しのつかないレベルにまで達していると報告されています。
上記は何を意味するのでしょうか。端的にいえば、暮らしや営みを支える生態系サービスが機能しなくなる方向に進んでいるということです。ひいては、企業の営みに大きな打撃を及ぼす方向に向かっているということでもあります。自然リスクは企業の財務リスクにもなり、経営に影響を与え得るものです。
さらに一歩踏み込めば、自然のレジリエンスを壊さないラインまで、また限界を超えてしまった自然のレジリエンスが再び機能することを促すラインまで、事業の在り方を見直さなければならないという言い方もできるでしょう。
こうした事態への企業の関与を仕組み化するために、TNFDが始まりました。
2. TNFD誕生の背景と国際的動向
TNFDは、トップダウンでつくられた規制とは異なり、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)やグローバル・レポーティング・イニシアティブ(GRI)を含む既存の枠組みや基準をベースとしています。市場参加者やその他のステークホルダーがアイデアを持ち寄り、オープン・イノベーションのアプローチを用いて開発されたという特徴を持ちます。
TNFDを後押ししたのは、2022年12月に開催された生物多様性条約第15回締約国会議です。そこで196カ国が「昆明・モントリオール生物多様性枠組」に合意し、2030年までに自然の損失を食い止め、反転させ、2050年までに自然と共生するための世界各国のコミットメントが示されました。この移行を可能な限り秩序だったものにし、ビジネスや金融を含む社会のあらゆる分野の潜在能力を最大限に引き出して、ネイチャーポジティブという成果に貢献するために、TNFDが動き出したのです。
なお、SSBJシリーズ第5回で触れたように、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)基準は、生物多様性や生態系といったTNFDのスコープも視野に入れた新しいプロジェクトを始めています。そのうちに、TNFDも日本サステナビリティ開示(SSBJ)基準の中に取り込まれていく可能性があることに留意が必要です。
3. TNFD提言の4つの柱と14の開示項目
TNFDは、過去10年にわたる気候関連報告に関する市場の経験や、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の作業を踏まえ、投資家やその他の資金提供者に対して、企業が明確で比較可能な一貫性のある情報を提供することを促進するという役割を果たすことに主眼を置いています。具体的には、TNFDは次の14項目の開示を提言し、測定指標のセット及び一連のガイダンスを提供しています。以下の①~⑭は、本稿の便宜上付したものです。
(1)ガバナンス
自然関連の依存、影響、リスクと機会に関する組織のガバナンスを開示します。
- ① 自然関連の依存、影響、リスクと機会に関する取締役会の監督について
- ② 自然関連の依存、影響、リスクと機会の評価と管理における経営者の役割について
- ③ 自然関連の依存、影響、リスクと機会に対する組織の評価と対応において、先住民族、地域社会、影響を受けるステークホルダー、その他のステークホルダーに関する組織の人権方針とエンゲージメント活動、および取締役会と経営陣による監督について
(2)戦略
自然関連の依存、影響、リスクと機会が、組織のビジネスモデル、戦略、財務計画に与える影響を開示します。
- ④ 組織が特定した自然関連の依存、影響、リスクと機会を、短期・中期・長期ごとに説明
- ⑤ 自然関連の依存、影響、リスクと機会が、組織のビジネスモデル、バリューチェーン、戦略、財務計画に与えた影響及び移行計画や分析について
- ⑥ 自然関連のリスクと機会に対する組織の戦略のレジリエンスについて、さまざまなシナリオを考慮して説明
- ⑦ 組織の直接操業において、および可能な場合は上流と下流のバリューチェーンにおいて、優先地域に関する基準を満たす資産および/または活動がある地域を開示
なお、⑥のシナリオ分析については、第4回で詳しく解説しています。
(3)リスクと影響の管理
組織が自然関連の依存、影響、リスクと機会を特定し、評価し、優先順位付けし、監視するために使用しているプロセスを説明します。
- ⑧ 直接操業における自然関連の依存、影響、リスクと機会を特定し、評価し、優先順位付けするための組織のプロセス
- ⑨ 上流・下流のバリューチェーンにおける自然関連の依存、影響、リスクと機会を特定・評価し、優先順位付けするための組織のプロセス
- ⑩ 自然関連の依存、影響、リスクと機会を管理するための組織のプロセス
- ⑪ 自然関連リスクの特定・評価・管理のプロセスが、組織全体のリスク管理にどのように組み込まれているかについて
(4)測定指標とターゲット
マテリアルな自然関連の依存、影響、リスクと機会を評価・管理するために使用している測定指標とターゲットを開示します。
- ⑫ 組織が戦略及びリスク管理プロセスに沿って、マテリアルな自然関連リスクと機会を評価・管理するために使用している測定指標
- ⑬ 自然に対する依存と影響を評価し、管理するために組織が使用している測定指標
- ⑭ 組織が自然関連の依存、影響、リスクと機会を管理するために使用しているターゲットと目標、それらと照合した組織のパフォーマンス
TNFDにおける指標については、第5回で詳しく解説しています。
4. TNFDで重要となる自然への「依存」と「影響」
上記の開示項目は、単に項目として羅列的に見るのではなく、企業の戦略面からどのように捉えるかという視点が重要になるでしょう。そうした視点から、TNFDに取り組む上で重要と思われる点として、自然への「依存」と「影響」を挙げておきます。
(1)自然への「依存」
企業が自然資本や生態系サービスにどれほど依存しているかを評価します。例えば、水資源に依存している、気候の安定に依存している、といったことが挙げられるでしょう。
(2)自然への「影響」
企業活動が自然にどのような影響を与えてしまうのかという点を評価します。企業活動が及ぼす森林伐採、水質汚染、生物多様性の損失、土地利用による自然破壊または自然環境への影響などが挙げられます。
企業には、自然資本への「依存」と企業活動による自然への「影響」の両面を、直接的なオペレーションだけでなく、上流・下流を含むバリューチェーン全体を通して評価することが求められています。
こうした依存と影響が強調されているのは、冒頭の「プラネタリーバウンダリー」と大きく関係します。
長年にわたる人間社会の営みが極めて深く自然界を侵してきた結果としての現状に鑑み、その侵された状態を少しでも良くするための前提として、これまでの人間社会の営みがどれだけ自然に依存してきたかを可視化し、どのような影響が自然に及ぼされているかを把握することが要求されているのです。このため、直接的なことだけでなく、間接的な依存・影響も含めて、さらに直接的なオペレーションだけでなく、上流・下流を含めて見ていく必要があります。
5. TNFDで重要となるもう一つの点
TNFDは、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)を基礎としており、TCFD提言における4つの構成要素(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)を基礎に置いていることに違いはありません。また前述のISSB基準/SSBJ基準もTCFDを基礎にしています。したがって、TCFD、TNFD、SSBJと、別々に基準遵守に追われるよりむしろ、これらを戦略的な観点から全社的に俯瞰的に(木も見て森も)捉えていくことが重要になると考えられます。
6. TNFDのLEAPアプローチ
上述のような枠組みに沿って、企業はできる限り一次情報を社内で収集・統合・分析し、情報を公開することが求められます。その際に活用が推奨される主なガイダンスの一つが、自然関連課題を特定・評価するための「LEAPアプローチ」です。このアプローチは、240以上の組織がパイロットテストを行い、その結果に基づいて公表されています。
(1)LEAPアプローチの4つのステップ
LEAPアプローチは、事前のスコーピングを経て、Locate、Evaluate、Assess、Prepareの順に進めます。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
Scoping | 分析対象や対応範囲を事前に設定する |
Locate | 自然との関係性を位置付ける |
Evaluate | 自然への依存と影響を評価する |
Assess | リスクと機会のアセスメントを行う |
Prepare | 対応及び開示に向けた準備を行う |
LEAPアプローチと聞くと、何か特別なことのように想像されるかもしれません。しかし、基本的でありながら、実際には組織内で徹底することが難しい重要なプロセスを、改めて提示したものといえるでしょう。
(2)「場所」を重視するLocate
LEAPアプローチの1つ目の特徴は、「場所」が重視されていることです。
具体的には、「Locate(位置付ける)」において、3つのフィルターを用いて自然に関連する潜在的な問題を絞り込み、優先順位を付けることを推奨しています。
- セクター
- バリューチェーン
- 地理的位置
自然関連の依存関係や影響、リスク、機会は場所特有のものです。そのため、これらを特定・評価・管理する上では、その文脈や「場所」が非常に重要であることが強調されています。
なぜ場所が重要なのでしょうか。一言でいえば、自然関連のリスクや影響は、場所によって大きく異なるためです。例えば、企業がリスクにさらされる現場として、水ストレスの高い地域での工場操業、生物多様性ホットスポットでの土地開発などが考えられます。
具体的には、自社の施設やサプライヤーがどの自然資本と接しているかを地図で可視化すること、それぞれの場所における生態系サービスの状況や脆弱性を分析することなどが必要になってきます。
TNFDにおける地域との関係については、第3回で詳しく解説しています。
(3)AR3Tフレームワークによる対応
LEAPアプローチの2つ目の特徴は、Science Based Targets Network(SBTN)によって開発された「AR3T」フレームワークを導入している点です。
TNFDは、「Prepare(準備する)」、つまり現状把握をもとに対応策を決定する際の指針として、AR3Tフレームワークの採用を推奨しています。
| アクション | 内容 |
|---|---|
Avoid | 回避 |
Reduce | 軽減 |
Regenerate | 再生 |
Restore | 回復 |
Transformative Action | 一連のアクションを可能にする変容行動 |
AR3Tは、企業対応において連続的に必要とされる4つのタイプのアクションに加えて、その一連のアクションを可能にするための「変容行動」を重視しています。特にLEAPアプローチは、AR3Tフレームワークを通じて、自然への負の影響を回避または最小化するためのアクションを、既存の負の影響を補完的方法などで回復するためのアクションよりも優先すべきであることを強調しています。さらに、「自然への負の影響を軽減することと、ネイチャーポジティブ(正の成果を生み出すこと)とは、同じではない」と言い切ります。
つまりは、それほど自然への負の影響を回避する、軽減するためのアクション無くしては何も始まらないということ。言い換えると、自然への負の影響を回避・軽減するためのアクションは、すべてのTNFD対応の土台となります。そのアクションを起こしてこそネイチャーポジティブが可能になり、そこから企業の機会も生まれるという点が重視されているといえるでしょう。
LEAPアプローチを含むTNFD対応の実践については、第2回で詳しく取り上げています。
7. TNFDに取り組む企業の動向と課題
(1)TNFD対応を表明する企業の増加
2024年10月のCOP16時点で、TNFDの推奨に沿った自然関連リスクの報告を開始することを表明した企業・金融機関は502社に達し、2024年1月から57%増加しました。世界全体でも、参画する企業は54の国・地域、62の業種にわたり、上場企業の時価総額は6.5兆ドル、金融機関の運用資産総額は17.7兆ドルに上るといわれています。
興味深いことに、上記502社のうち、日本企業及び金融機関は約133社に達し、国別で世界最多となりました。全体502社のうち、約26%を占めていることになります。
この数字は、2024年1月時点の80社から大幅に増加しています。TNFDの枠組みに基づく自然関連リスク・機会の開示に対する、日本企業の関心と取り組みの強化を示しているといえるでしょう。日本政府の支援、企業のサステナビリティへの取り組みの強化、国際的なESG投資家からの期待の高まりなどが背景にあると考えられます。
(2)企業が直面する4つの課題
一方、企業のTNFD実施状況について、一般的な観点から次のような課題を挙げることができます。
- データ不足と精度のばらつき
自社やサプライチェーンの自然資本への「依存」や「影響」を把握するためのデータが不十分です。特に、グローバルな調達先や小規模サプライヤーに関する情報が乏しく、リスク評価が困難です。 - 評価手法の統一性の欠如
生物多様性や水資源などの影響評価において、共通の尺度やガイドラインが不足しています。ENCOREやSBTNなどのツールもありますが、適用には専門知識が必要であり、企業によって対応に差があります。 - 人的リソースと専門性の不足
環境・サステナビリティ部門に十分な人員や知見がなく、開示や戦略立案が手探りの状態です。 - 経営層の関与の薄さ
財務的な優先課題と比べて、自然関連課題は中長期のリスクとみなされ、経営上の優先順位が低くなりがちです。
8. TNFD対応に向けたまとめ
今後、こうした課題を克服するためには、一企業で取り組むだけでは不十分であり、学術機関や研究組織、地域コミュニティ、市民社会との協働が不可欠になっていくと考えられます。
