1. なぜ今「情報セキュリティ・インシデント対応」が重要なのか
デジタルトランスフォーメーション(DX)の進展に伴い、企業活動とITシステムは不可分なものとなりました。しかし、それは同時に、サイバー空間におけるリスクが経営の根幹を揺るがす最大の脅威へと変貌したことを意味します。
IPA(独立行政法人情報処理推進機構)が発表した最新の「情報セキュリティ10大脅威 2025」においても、「ランサムウェアによる被害」や「サプライチェーンの弱点を悪用した攻撃」が依然として組織向け脅威の最上位に位置付けられています(1)。かつての愉快犯的なウイルス拡散とは異なり、2025年の現在における攻撃は、明確に「事業停止」や「身代金」を狙った標的型攻撃へと高度化しています。もはや従来の境界防御だけで「侵入を100%防ぐ」ことは現実的ではないと考えられます。
このような「侵入されることを前提(Assume Breach)」としなければならない過酷な環境下において、企業に求められるのは「防御力」以上に、インシデント発生時の「対応力(レジリエンス)」です。攻撃者は侵入後、わずかな時間でシステム全体へ横展開を行います。このとき、初動対応が遅れるほど、被害額は幾何級数的に増大します。
したがって、インシデント対応は単なるIT部門の技術課題ではありません。システム停止の判断、法的対応、取引先への説明責任など、極めて高度な経営判断が求められる総力戦となります。こうした背景から、有事の際に組織が迅速かつ的確に動くための全体設計図――すなわち「情報セキュリティ・インシデント対応マニュアル」の整備は、現代企業にとって必須の経営基盤となってきます。
2. インシデント対応マニュアルが担うべき基本構造
では、実効性のあるインシデント対応マニュアルとは、具体的にどのようなものであるべきでしょうか。
米国国立標準技術研究所(NIST)のガイドライン(SP800-61)でも推奨されている通り、マニュアルは「統治」「識別」「防御」「検知」「対応」「復旧」というサイバーセキュリティの成果を最大限に発揮する6つの機能をカバーし、組織の意思決定プロセスを具現化したものである必要があります(2)。そのために不可欠なのが、「定義」「評価」「伝達」という3つの柱です。
第一の柱は「インシデントの定義と通知基準」の明確化です。現場で最も時間を浪費するのは、「これは報告すべき問題か否か」という迷いです。外部からの不審な通信やシステム挙動の違和感をどこまでインシデントの予兆として捉えるか、また、どのレベルに達したら経営層や監督官庁へ通知するかという「トリガー」を事前に定義する必要があります。これを曖昧にしておくと、現場担当者が問題を抱え込み、報告が上がった時には手遅れになっている事態を招きます。
第二の柱は「評価と重大度分類」です。インシデントの影響度に基づき、「低(Low)・中(Middle・高(High)・危機(Critical)といったランク付けを行う仕組みが望まれます。専門機関も推奨するように、影響範囲(全社か一部か)や情報の機密性(個人情報か公開情報か)をマトリクス化し、限られたリソースをどこに集中投下すべきかという経営判断を実現できます。
第三の柱として、「エスカレーションと通知フロー」の設計が挙げられます。それは具体的、誰が、誰に、どのタイミングで情報を伝えるかという経路(フロー)の確立を指します。初期対応者からIT責任者、法務、経営層へと、情報が歪曲や遅滞なく伝達される構造を作らなければなりません。これら3つの要素が有機的に結合して初めて、マニュアルは生きた手順書として機能することが期待られます。
3.「準備していること」が企業の信用を守る
上記の概要だけ踏まえると、情報セキュリティ・インシデント対応マニュアルの整備は、社内統制のためだけの施策だと認識されがちです。実は、それだけでなく、具体的な「コスト削減」と「信用の保護」にも直結します。
IBM Securityが発表した最新の「データ侵害のコストに関する調査レポート 2025」によると、インシデント対応(IR)チームを設置し、かつ定期的なテスト(訓練)を行っている組織は、そうでない組織に比べて、データ侵害のコストを大幅に低く抑えられたという結果が出ています(3)。これは、マニュアルに基づいた迅速な初動対応(First Response)がいかに被害拡大(=コスト増大)を防ぐかを如実に物語っています。準備不足は、そのまま企業の財務リスクに直結することが明らかになっています。
サイバー攻撃を受けた事実そのものは、被害者としての側面もあります。しかし、その後の対応において、迅速に状況を把握し、透明性のある説明ができるかどうかは、企業の「準備の質」に依存します。準備がある企業はステークホルダーに対して「危機管理能力が高い」という安心感を与え、ブランド価値の毀損を最小限に抑えることが可能です。
また、経済産業省の「サイバーセキュリティ経営ガイドライン Ver 3.0」においても、経営者がリーダーシップを取って対策を進めることが強く求められており、サプライチェーン全体のリスク管理として、取引先選定の要件に「インシデント対応体制の有無」が問われるケースも増えています(4)。最新のガイドラインに準拠したマニュアルを整備し、有事に備えていること自体が、ビジネスパートナーとしての適格性を証明する重要な材料となってきました。
4. 実務で機能する体制作りのポイント
完成度の高いマニュアルを策定しても、実際のインシデント発生時にそれが機能しなければ意味がありません。実効性を高めるためには、以下の3つのポイントを意識した体制作りが必要です。
(1)役割と責任の明確化
インシデント対応は組織全体で取り組むべき総力戦である一方、「全員で対応する」という曖昧な体制はむしろリスクになり得ます。関係者が増えるほど意思決定権限や役割分担が不明確になりやすく、その結果、判断の停滞や対応の重複が発生し、インシデント復旧プロセスの遅延を招く可能性があるためです。RACI(実行責任、説明責任、相談先、報告先)といったフレームワークを用い、インシデントマネージャー、技術担当、法務担当、広報担当など、誰が何の権限を持つかを可視化します。これにより、有事の際に指揮系統が乱れることを防げます。
(2)継続的な評価と学習(PDCA)
マニュアルや判断基準は、定期的に見直し、アップデートし続ける必要があります。また、マニュアルの実効性を検証するために、定期的な「机上訓練(Tabletop Exercise)」を実施することも極めて重要です。訓練を通じてプロセスの不備を洗い出し、改善していくサイクルこそが、組織の対応能力を真に高められます。
(3)外部専門家との連携
フォレンジック調査(デジタル鑑識)や高度な法的判断は、外部の専門家の知見が不可欠な領域です。いざという時にスムーズに支援を受けられるよう、平時からセキュリティベンダーや弁護士との連携手順をマニュアルに組み込んでおくことが、迅速な解決への近道となります。
5. 支援ニーズが高まる今こそ整備の好機
情報セキュリティ・インシデント対応体制の構築は、火事が起きてから消火器を買いに行くような泥縄式の対応では間に合いません。平時の今だからこそ、冷静な視点でリスクを洗い出し、組織全体を俯瞰したマニュアル・ガイドラインを整備することができます。「何か起きてから」では遅く、「何も起きていない今」こそが、将来のリスクを大幅に低減させる最大の好機です。
しかし、実効性のあるガイドライン策 定には専門的な知見が必要であり、社内のリソースだけで完遂するのは容易ではありません。そのため、多くの企業が外部専門家による支援を積極的に導入しています。当社には、セキュリティの最前線を熟知したプロフェッショナルが揃っており、単なるマニュアル作成に留まらず、実効性の高い運用設計から、万が一のインシデント対応体制の確立まで徹底サポートします。
「備えあれば憂いなし」という言葉通り、強固なインシデント対応体制は、企業が安心してビジネスに邁進するための土台です。体制整備にお悩みであれば、ぜひRSM汐留パートナーズの専門家に一度ご相談ください。お客様の情報セキュリティ対応力を飛躍的に高め、信頼という資産を守り抜くためのパートナーとして、私たちが全力でサポートいたします。
