1. SASBの内容と目的
SASB基準は、企業が自社のサステナビリティに関する現状評価を行い、その内容を投資家に分かりやすく伝えるための実務的なフレームワークとして整備されてきました。特徴的なのは、77の産業分野ごとに、短期・中期・長期のキャッシュフローや資本コストに影響を及ぼし得るサステナビリティ関連のリスクと機会を整理している点です。単にテーマを列挙するのではなく、その産業のビジネスモデルにとって財務的に重要となり得るかどうかという観点からトピックを選定し、定性情報と定量情報(指標)の両面で開示を促しているところに、SASB基準の実務性があります。
また本基準は、証拠に基づくアプローチと市場参加者の知見を組み合わせたプロセスで策定されている点も重要です。リスクや機会の現れ方は産業ごとに大きく異なるため、産業横断で一律の指標を求めるのではなく、産業別のスタンダードとして設計されていることが、投資家にとっての実務上の使いやすさにつながっています。一方で、既存の会計基準や枠組みとの整合性にも配慮しており、追加的な開示負担を抑えつつ、コスト効率良く導入できるよう工夫もされています。
SASB基準は現在、ISSBのもとで維持・改訂が進められており、IFRS S1・S2を実務的に補完する産業別ガイダンスとして位置付けられています。その中核にあるのは、産業別のマテリアリティと指標の枠組みを通じて、投資家が意思決定に必要とする定性・定量情報を整理するという考え方です。本基準は、まさにその役割を土台としてISSB統合後も参照され続けることが想定されており、企業にとっても、自社のサステナビリティ情報をどのような軸で組み立てるべきかを考えるうえで、引き続き有力な手引きとなります。
2. SASB基準の役割:投資家が使えるサステナビリティ情報とISSB時代の活用
SASB基準の重要性は、サステナビリティ情報を単なるイメージやストーリーにとどめず、投資家の意思決定に活用できるデータへと変換してきた点にあります。企業の現状評価を行う際、環境・社会・ガバナンスに関するテーマは多岐にわたりますが、そのすべてが資本コストやキャッシュフローに直結するわけではありません。SASB基準は、産業別に財務的な影響度が高いリスクと機会を絞り込み、それぞれについてどのような定性情報を示し、どのような定量指標でトラッキングすべきかを体系的に整理してきました。その結果、投資家は企業ごとのばらばらな説明に頼るのではなく、一定の共通フォーマットに基づいて比較可能な情報を入手できるようになっています。
また、企業側にとっても自社のビジネスモデルとサステナビリティ要素との関係性を再確認するうえで有効なツールとして機能しています。どの非財務テーマが収益性や資本コストに影響し得るのかを棚卸しし、KPIとして継続的にモニタリングすることで、IR開示・内部管理・事業戦略を一体的に設計しやすくなります。こうした実務的な活用可能性を踏まえると、産業別のマテリアリティと指標群という強みは、今後も活かされていくと考えられます。企業にとっては、単に新基準へ切り替えるのではなく、SASB基準が提供してきた定性・定量の両面からの視点を取り込みながら、自社の開示と経営ストーリーを高度化していくことが、ISSB時代における重要な対応となります。
3. ISSBへの移行プロセス
ISSBへの移行プロセスは、SASB基準を含む既存の枠組みを土台として、サステナビリティ開示の国際的な共通基盤を形成していく取り組みととらえることができます。背景には、投資家がグローバルに比較可能な情報を求めている一方で、企業側は複数のフレームワークに並行対応することによる負荷増大に直面しているという現状があります。こうしたギャップを埋めるために、ISSBは、SASB基準を含め、市場主導で発展してきた報告イニシアチブの成果を統合しつつ、投資家の意思決定に役立つ定性・定量情報を効率的に提供できる基準づくりを進めています。
そして、統合の対象となっているのは、SASB基準だけではありません。気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言、統合報告フレームワーク、気候関連開示基準審議会(CDSB)のフレームワークなど、いずれも資本コストやキャッシュフローに影響するサステナビリティ要因を構造的に捉えようとしてきた枠組みが含まれています。ISSBはこれらの知見を踏まえ、投資家が求める情報要件を整理し直すことで、重複を減らしつつ、企業が一本の軸で現状評価と指標管理を行えるように設計しています。この意味で、ISSB統合は、ばらばらであったルールセットを単に寄せ集めるのではなく、市場で実証されてきた要素を抽出し、再構成するプロセスだと言えます。
こうした統合の成果として公表されたのが、IFRS S1(サステナビリティ関連財務情報の一般要件)とIFRS S2(気候関連開示)です。IFRS S1は、サステナビリティ関連のリスクと機会に関する全般的な開示の枠組みを示し、IFRS S2はそのうち気候領域に特化した詳細要件を定めています。IFRS S1・S2の役割については、『ESG開示基準の一つであるIFRS S1・S2の役割』をご覧ください。SASB基準は、この中で産業別の開示トピックや指標群の参照源として位置付けられており、各企業が自社のビジネスモデルに即した定性・定量情報を選択する際の実務的なガイドとして活用されます。企業にとってISSBへの移行とは、単なるラベル変更ではなく、従来SASB基準で整理してきた産業別マテリアリティを、IFRS S1・S2の枠組みの中で再配置する作業だと理解することが重要です。これにより、開示、内部管理、戦略立案を一体のストーリーとして結び付け、投資家に対して資本コストやキャッシュフローのドライバーをより明確に示すことが求められています。
4. まとめ
SASB基準は、産業別に重要なサステナビリティ要因を体系化し、投資家の意思決定に役立つ情報開示を促す実務的なフレームワークとして発展してきました。現在はISSBのもとで維持・改訂が進められており、IFRS S1・S2を補完する役割を担うことで、今後も事業モデルや産業特性に即した開示を設計するうえで有力な参照基準であり続けると見込まれます。したがって企業は、単に旧SASBからISSBへ切り替えるだけでなく、SASB基準で蓄積された産業別のマテリアリティや指標群を活かしながら、自社の開示・内部管理・戦略立案を一貫したストーリーとして再設計していく姿勢が、今後の企業価値に影響を与え得る重要なポイントと考えられます。
