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競馬騎手における確定申告の実務と税務上の留意点|進上金の適正な処理および経費計上の指針

競馬騎手における確定申告の実務と税務上の留意点|進上金の適正な処理および経費計上の指針

会計・税務
2026年7月9日

日本中央競馬会(JRA)や地方競馬全国協会(NAR)から免許を交付され、週末のレースや平日の調教に臨む騎手(ジョッキー)は、競馬という競技の主役として多くのファンを魅了する存在です。JRAに所属する騎手はわずか150名ほどしかおらず、その狭き門を勝ち抜いた者だけがサラブレッドと共に大舞台に挑むことができます。人馬一体となって勝利を目指す姿は多くの感動を呼びますが、その華やかな舞台の裏側で、一人の職業人として直面しなければならないのが、税務管理および毎年の確定申告という複雑な実務となります。騎手の収入や経費の構造は、一般的な会社員はもちろんのこと、他のプロスポーツ選手と比較しても極めて特殊な性質を持ち合わせています。そのため、税務上の正しい知識を持たずに確定申告を行ってしまうと、適正な経費の計上漏れが生じたり、税務調査において予期せぬ指摘を受けたりするリスクがあります。本記事では、騎手特有の収入構造である進上金の取り扱いから、経費のボーダーライン、そして将来を見据えた税務管理までを簡単に解説いたします。

まず前提として深く理解しておくべき点は、騎手がどのような立場で収入を得ているのかという基本的な構造です。騎手は競馬会から免許を付与され、あるいは特定の厩舎に所属して活動を行っていますが、競馬会や厩舎に雇用されている正社員や職員ではありません。税務上の取り扱いにおいては、騎手一人ひとりが独立した「個人事業主」として判定されるのが一般的です。したがって、騎手としてレースに騎乗し獲得した各種の収入は「給与所得」ではなく「事業所得」として区分されます。

一般的な給与所得者であれば、所属する企業が毎月の給与から所得税などを天引きし、年末調整という手続きを通じて一年間の税額を計算および精算してくれるため、原則として自身で確定申告を行う必要はありません。しかし、個人事業主である騎手の場合は事情が異なります。一年間(1月1日から12月31日まで)に得たすべての事業収入から、事業を行う上で直接必要となった経費を自ら差し引き、その利益(所得)に対して課される所得税を自身で計算し、期限内に国へ申告・納付する義務を負っています。

さらに、騎手の収入は毎月固定で支払われるものではなく、レースへの騎乗回数やその結果(着順)に直接的に連動するという特徴があります。勝てば多額の報酬を得られる一方で、成績が振るわなければ収入が大きく落ち込むという厳しい実力主義の世界に身を置いています。このような特有の収入構造を持つ騎手にとって、自らの事業の状況を正確に把握し、適正な税額を算出するための確定申告は、単なる義務を超えた重要な経営管理の一環です。

騎手の確定申告において最も重要かつ中心的な作業となるのが、レース結果などに応じて発生する多岐にわたる収入源を正確に把握し、漏れなく事業所得として整理することです。その中で最大の収入の柱となるケースが多いのが「進上金(しんじょうきん)」と呼ばれる賞金に関連する収入です。進上金とは、騎乗した競走馬がレースで上位に入着し、馬主が本賞金を獲得した際に、その賞金の中から一定の割合が騎手に対して支払われる成功報酬を指します。中央競馬の平地競走であれば一般的に本賞金の5%、障害競走であれば7%などと規定されており、G1などの重賞レースで優勝すれば数千万円から億円単位の賞金が動くため、それに伴う進上金も極めて高額となり、騎手の年間の所得水準を大きく左右する決定的な要素となります。現に国内最高額のジャパンカップや有馬記念の1着賞金は5億円に達しており、勝利すれば騎手には2,500万円もの進上金が入る計算になります。近年は天皇賞や宝塚記念、大阪杯といった主要GIレースでも2025年から1着賞金3億円への引き上げが実施されるなど、この世界で動く金額の規模は年々拡大を続けています。

また、レース結果にかかわらず、レースに騎乗すること自体に対して支払われる「騎乗手当」や、騎乗に伴う「騎手奨励手当」なども、安定した収入基盤を形成する重要な要素となります。さらに、週末のレースだけでなく、平日の早朝に行われる調教に騎乗した際に支払われる調教騎乗手当などもあります。これらはすべて、騎手としての事業活動から生じた収入であるため、事業所得の総収入金額に含めて計算する必要があります。

これらの収入に関して税務上特に注意すべき点は、競馬会等から報酬が支払われる際、あらかじめ一定の所得税が「源泉徴収」として差し引かれているのが一般的です。この源泉徴収された税金は、あくまで仮払いとして国に納められているものに過ぎません。確定申告を行う際には、手取り額ではなく源泉徴収される前の「総額」を収入として計上した上で一年間の最終的な正しい税額を算出し、すでに差し引かれている源泉徴収税額との精算手続きを行うプロセスが求められます。したがって、支払調書や支払通知書などの明細を一年分確実に保管し、総収入と源泉徴収税額を正確に集計することが、適正な申告手続きの根幹を成します。

他のプロスポーツ競技と異なり、騎手という職業において特筆すべき点は、「騎乗依頼をどのように受けるか」という仕事の受注プロセスと、それに伴う関係者との深い繋がりです。騎手はデビュー当初は特定の調教師の厩舎に所属し、そこでの調教や提供される騎乗機会を中心に経験を積むケースが多くありますが、実績を重ねるにつれて特定の厩舎に縛られないフリーランスの騎手として独立し、活動の幅を広げていく傾向があります。フリーとなった場合、どのレースでどの馬に騎乗するかは、馬主や各厩舎の調教師からの個別の依頼によって決定されるため、関係者との良好な信頼関係の構築が自身の収入機会に直結します。

この複雑な騎乗依頼の調整において、現代の競馬界で極めて重要な役割を担っているのが「騎乗依頼仲介者(通称:エージェント)」の存在です。レースや調教で多忙を極める騎手に代わって、調教師や馬主との間で騎乗馬の調整や交渉を行うエージェントに対して、騎手は自身の獲得した収入の中から一定の報酬を支払う契約を結ぶことが一般的となっています。このエージェントに対する支払いは、騎手としての事業活動を円滑に進め、新たな収入機会を獲得するために直接的かつ不可欠な支出であると解釈できるため、確定申告において必要経費として計上できる可能性が高い項目です。

また、馬主や調教師、生産牧場の関係者などとの関係構築や情報交換を目的とした会食費用、あるいは関係者への贈答品の購入費用なども、将来の騎乗依頼に繋がる事業の遂行上必要不可欠な範囲内であれば「接待交際費」として経費と認められる場合があります。しかしながら、これらの費用が単なる個人的な付き合いやプライベートな飲食と混同されないよう、いつ、誰と、どのような目的で支出したのかを明確に記録し、客観的かつ合理的な説明ができる状態を保っておくことが強く求められる領域でもあります。

事業所得の確定申告において、獲得した収入から差し引くことができる「必要経費」を正しく選別することは、税務リスクを抑えつつ適正な納税額を導き出すための最も重要なステップの一つです。騎手の場合、競馬という競技の特殊性や体重管理の厳しさから、一般的な事業主とは異なる多種多様な支出が発生し、その経費性の判断が分かれやすい項目が多くあります。以下の表に、騎手において必要経費として認められやすい支出と、税務上の判断が分かれやすいボーダーライン上の支出の一般的な傾向を整理いたしました。

支出の主な区分具体的な項目例と税務上の考え方の傾向
騎乗道具・競技用具競技で直接使用する鞍(サドル)、鞭、ヘルメット、防護ベスト、ゴーグル、専用ブーツなどの購入費用やメンテナンス代は、騎手としての業務遂行に不可欠な支出として、必要経費に認められやすい傾向があります。なお、鞍など取得価額10万円以上の高額な用具は、購入年に一括で経費とするのではなく減価償却により複数年で費用化します。
遠征費・移動交通費週末ごとに全国各地の競馬場へ移動するための航空券、新幹線代、宿泊費、レンタカー代などは、事業に関連する支出として必要経費に該当しやすい項目です。ただし、私的な観光や休養を伴う場合には、事業に関連する部分のみを合理的に按分して計上する必要があります。
減量管理費騎手にとって指定された斤量を守るための体重管理は不可欠ですが、一般的なサウナ代やトレーニングジムの会費は生活費との境界が曖昧であり、業務上の必要性を客観的に説明できるかが問われる、判断の分かれやすい項目です。
身体メンテナンス費競技力の維持・向上を目的とする専属トレーナーへの報酬などは、必要経費として主張しやすい項目です。ただし、一般的な疲労回復や健康維持を目的とする支出と区別できるよう、業務上の必要性を説明できる状態にしておくことが重要です。
栄養管理・サプリメント一般的な日常の食事代は原則として生活費に該当するため、必要経費にはなりません。他方、過酷な減量下での特定成分の補給を目的とした専門的なサプリメントなどは、専門家の助言や指導に基づくなど、合理的な説明ができる場合に必要経費として検討される場合があります。

表に示した通り、鞍や鞭、など、競馬の競技にのみ使用することが明らかな物品に関しては、事業との直接的な関連性を主張しやすいため、経費としての根拠を示しやすい項目です。騎乗依頼仲介者(エージェント)への報酬も、騎乗機会の獲得に直接必要な支出として必要経費に該当しやすい項目といえます。その一方で、体重を極限まで落とすための費用や、日々の身体のケアに関する支出は、プライベートな生活費である「家事関連費」との線引きが極めて困難になります。税務調査等においてこれらの経費性を否認されないためには、領収書の保存を徹底することはもちろんのこと、その支出が騎手としての業務にどのように直結し、不可欠なものであったのかを、客観的な事実に基づいて論理的に説明できる状態を平時から整えておくことが有効です。

騎手の事業活動は、週末に開催されるレースを中心に一週間のサイクルが回っており、収入と支出もその開催日ごとに細かく、そして頻繁に発生するという特徴を持っています。そのため、確定申告の時期が近づいた年末や翌年の初頭になってから、一年分をまとめて帳簿に記録しようとすると、記憶が曖昧になり、経費の計上漏れや私的な支出の混入といった深刻なミスを引き起こす原因となりかねません。適正な確定申告を行うための最も有効な対策は、開催単位での日々の帳簿管理を習慣化することに尽きます。

具体的には、毎週末のレース開催が終了した段階で発行される騎乗明細や支払通知書の内容を確認し、その週に獲得した進上金や騎乗手当、調教騎乗手当、そして差し引かれた源泉徴収税額を定期的に帳簿に入力していく作業が基本です。それと同時に、その週の遠征で発生した交通費や宿泊費の領収書、購入した騎乗道具のレシートなどを整理し、どの開催に向けた支出であったのかを関連付けて記録しておくことが望ましいです。

また、個人事業主にとって税制上の非常に大きな利点となる「青色申告制度」の適用を受けることも強く推奨される選択肢です。一定の要件を満たす正規の簿記の原則に従って日々の取引を帳簿に記録し、期限内に申告を行うことで、現行で最大65万円を所得から差し引くことができる青色申告特別控除を受けられるなど、多くの節税面でのメリットを享受できます。日々の細かな記帳作業は、多忙な騎手にとって負担に感じるかもしれませんが、プライベート用の口座とは完全に切り離した事業用の銀行口座とクレジットカードを作成し、近年普及しているクラウド会計ソフトと連携させることで、入出金履歴の取り込みを自動化し、事務処理の手間と心理的なハードルを大幅に軽減できます。なお、令和8年度税制改正により、令和9年分から青色申告特別控除の要件が見直され、e-Taxによる申告や帳簿の電磁的記録保存等の一定のデジタル対応を満たす場合には、控除額が最大75万円へ拡充される方向です。一方で、紙の書類に依存した管理を続ける場合には控除面で不利になる可能性もあるため、開催日ごとの騎乗明細、源泉徴収税額、遠征費などをクラウド会計や電子保存で一元管理する体制を早期に整えることが重要です。

競馬は時として時速60キロを超えるスピードで馬群が密集して走る、常に危険と隣り合わせの過酷な競技であり、騎手は他のプロアスリート以上に多様かつ深刻なリスクを抱えて事業を営んでいます。レース中の斜行などのルール違反によって騎乗停止処分を受けた場合、その期間はレースに騎乗できなくなるため、騎乗手当や進上金といった収入の源泉が完全に途絶えます。実際に近年は、調整ルームにおける通信機器の不適切な使用を理由とする騎乗停止処分が相次いでおり、30日間、事案によっては半年を超える長期の騎乗停止に至った例もあります。処分期間中は進上金も騎乗手当も一切発生しないため、コンプライアンスの徹底はそのまま収入基盤の防衛につながります。さらに深刻な事態となるのが、レース中の落馬事故や調教中の不慮の事故による重傷です。骨折などで数ヶ月間から半年以上にわたる長期離脱を余儀なくされた場合、その間の収入が激減するという極めて厳しい現実に直面します。

日本の所得税は、所得額が高くなるほど適用される税率も段階的に高くなる累進課税制度を採用しています。そのため、前年にG1レースを制覇するなどして多額の進上金を獲得し、過去最高の所得を記録していた場合、万が一その翌年に怪我で収入が途絶えたとしても、前年の高い所得に基づいた高額な所得税や住民税の支払いが容赦なく求められます。このように収入の波が激しく、かつ予測不可能な離脱リスクを伴う事業において、手元に十分な納税資金を確保しておかないことは、自身の生活基盤を根本から脅かす致命的な事態を招きかねません。収入が高かった年に浮かれて資金を散財するのではなく、あらかじめ予測される税額分を別口座に確保しておくといった、最悪の事態を想定した堅実な資金管理とリスクへの備えが不可欠です。

また、進上金や騎乗手当だけでなく、スポンサー契約、メディア出演、競馬関連イベントへの参加などの収入が増える場合には、消費税やインボイス制度への対応も重要な確認事項となります。インボイス発行事業者として登録した場合、これまで免税事業者であった騎手であっても消費税の申告・納税義務が発生します。免税事業者から課税事業者となった小規模事業者向けの「2割特例」は、令和8年(2026年)9月30日を含む課税期間までが対象とされ、個人事業主の場合は2026年分の申告が最後の適用となります。その後、令和8年度税制改正により、個人事業者の令和9年分・令和10年分について、売上税額の3割を納税額とする「3割特例」が設けられています。騎乗数や重賞での成績によって売上規模が大きく変動する職業であるからこそ、インボイス登録の要否、簡易課税制度との比較、届出期限の管理を年度ごとに確認することが望ましいです。

騎手にとって最大の使命であり存在意義は、自身が騎乗する競走馬の能力を極限まで引き出し、無事にレースを終えて最高の着順を勝ち取ること、そして競馬ファンに最高のパフォーマンスを届けることです。そのためには、日々の徹底した体重管理、各馬の癖や特徴の把握、複雑なレース展開のシミュレーションなど、心身のすべてを競技に集中できる環境を整えることが何よりも優先されます。個人事業主である以上、確定申告や税金対策は絶対に避けては通れない義務ではありますが、複雑な税務判断や領収書の整理に膨大な時間を奪われ、コンディショニングや休息に支障をきたしてしまっては、アスリートとして本末転倒であると言わざるを得ません。

そのため、第一線で長きにわたって活躍し続ける多くのトップジョッキーは、税務に関する日々の記帳業務や確定申告書の作成を、税理士などの専門家に委託する体制を構築しています。競馬界特有の商習慣や特殊な経費の判断基準に精通した税理士と密接に連携することで、適法かつ有利な税務申告を確実に行えるだけでなく、万が一税務署からの問い合わせや税務調査が入った際にも、代理人として専門的な見地からの対応を任せることができます。これにより、騎手自身は安心して本業である競馬に全力を注ぐことができる環境を手に入れることができます。

さらに、どれほど優れた技術を持つ騎手であっても、現役生活にはいつか必ず終わりが訪れます。引退後に調教師としての厳しい試験を突破して自身の厩舎を開業するにせよ、調教助手として裏方から馬を支えるにせよ、あるいは競馬評論家としてメディアの道に進むにせよ、現役時代からしっかりとした財務基盤を築いておくことは非常に重要です。たとえば、将来の退職金代わりとして利用できる「小規模企業共済」などの制度を活用すれば、掛金を所得控除として差し引きながら引退後の資金を着実に積み立てることが可能になります。毎年の確定申告を、単なる納税のための煩わしい事務作業として捉えるのではなく、自身の事業活動を数字で客観的に振り返り、引退後のセカンドキャリアを見据えた長期的な人生設計の一環として位置づけることが、騎手としての成功と引退後の豊かな人生を両立させるための確かな道筋になるでしょう。

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