TNFDシリーズの第2回で触れたもう一つのTNFDのキーワードである「レジリエンス」に関連し、本コラムでは、その評価の核となる「シナリオ分析」について理解を深めていきます。
これは、TNFDの柱・戦略にある開示項目の1つ「自然関連のリスクと機会に対する組織の戦略のレジリエンスについて、さまざまなシナリオを考慮して説明」に該当します。このように、開示項目として企業が準備しておく要件の1つとなっている点を、まず理解する必要があります。また、シナリオ分析は、第1回で解説したLEAPアプローチの特に「評価」フェーズに主に関わるものであると同時に、LEAPアプローチのすべての段階に情報を提供するものと位置付けられており、TNFD実施における「リスク評価」ツールの1つともなっている点に留意が必要です。
1. TNFDにおけるシナリオ分析とは
TNFDは、その中で言及されるシナリオ分析に特化したガイダンス「Guidance on Scenario Analysis(2023, TNFD)」を策定しています。その中では、「組織が複雑な不確実性の下で戦略を策定し、そのレジリエンスをテスト」するために、シナリオ分析を活用する考え方が示されています。また、「組織が自然の喪失と気候変動の可能性のある影響、政府、市場、社会がどのように対応するかに関する方法、およびこれらの不確実性がビジネス戦略と財務計画に与える影響」を捉えるうえでも、シナリオ分析が重要とされています。
そのガイダンスの特徴として、次の点が挙げられます。
- TCFDのシナリオ関連リソースである「非金融企業向けのシナリオ分析に関するTCFDガイドライン」(2020)をベースに作成されており、用語やアプローチは類似している一方、TCFDにおける理解をより発展的に展開しています。また、シナリオ分析および統合開示において、気候変動とそれ以外の自然の両方に対応するものとして位置付けられています。
- 特に、定量化や定量モデルに急に飛びついて意思決定を行うのではなく、組織を取り巻く環境と組織の中身全体を深く理解するために、丁寧に設計された社内ワークショップの実施などを通して、定性的なアプローチからじっくりと結論や意思決定に向けてシナリオを構築し、分析へと次元を高めていく方法を推奨しています。
以上を踏まえ、本コラムでは、このガイダンス(以下「当該ガイダンス」といいます)を基にしながら、関連する文献や知見を併せて、TNFD対応に資するシナリオ分析への理解を深めていきます。
2. TNFDシナリオ分析の進め方
当該ガイダンスをベースに、TNFDが求めるシナリオ分析について、(1)分析前に必要な問い、(2)具体的な4ステップ、(3)実践上の留意点の順に見ていきます。
(1)シナリオ分析の前に必要な問い
当該ガイダンスでは、未来のシナリオを考えるにあたり、まず次のような問いからスタートすることを推奨しています。
- 今後どのような変化が起き得るか。その根拠は何か。
- 組織のビジネスモデルのレジリエンスに重大な変化をもたらし得る、新たな自然関連のリスクおよび変化としてどのようなものがあるか。
- どのような不確実性が潜在的な変化をもたらし得るか。
さらに高度なシナリオ分析を行う場合には、複数の重要な不確実性や推進力を取り入れながら、例えば次のようなポイントを押さえることが推奨されています。
- どの物理的リスクおよび移行リスクを取り入れるか。
- 自然シナリオと気候シナリオの関係はどのようなものか。単一の組織・施設・生物圏に焦点を当てた評価に留まっていないか。
- 事業およびバリューチェーンにおいて、複数の国や地域をどのように考慮すべきか。
- シナリオに組み込むべき定量的な変数は何か。
- 適切な地理的な詳細情報はどの程度取り入れられているか。
2)シナリオ分析の4ステップ
【ステップ1】関連する駆動要因の特定
最も関連性の高い不確実性を定義するため、組織はシナリオにおいて探求すべき最も関連性の高い要因を評価する必要があります。自然関連に関わる不確実性の要因には、生態系から財務、ステークホルダー、技術、経済に至るまで、複数のものが存在することが想定されます。組織は、その文脈に応じて任意の駆動要因を設定できますが、当該ガイドラインでは、特に次の2点をデフォルトの要因としています。ワークショップ用には、その2つを縦軸と横軸に交差させたマトリックスも提示されています。
- 生態系サービスの劣化(物理的リスクや気候変動に密接に関連)
- 市場と非市場の駆動要因の整合性(移行リスクに関連)
ここでいう「市場の力と非市場の力の整合性」とは、経済的なインセンティブ(市場の力)と、政策・規制・社会的要請など(非市場の力)が、自然資本や気候変動への対応に向けて、矛盾なく協調して働く状態を指します。
この整合性の有無は、企業にとって「トランジションリスク(移行リスク)」と深く関わっています。例えば、炭素価格の導入や規制の強化といった政策(非市場の力)が急激に進む一方で、企業や市場の準備が追いついていない場合、大きなコストや事業リスクが発生します。逆に、市場と非市場の力がうまく整合していれば、自然や気候に配慮したビジネスへの移行がスムーズに進み、機会創出にもつながります。
この文脈でTNFDは、自然関連リスクの評価においても、こうした市場と非市場のダイナミクスのバランスが重要であると示しています。
【ステップ2】重要な不確実性軸上の現在位置を特定
ワークショップを通して現在の位置を特定するための議論を行い、参加者が組織の現在の状態と今後の見通しについて、広く共有された見解を持っているのか、あるいは大きく異なる見解を持っているのかについても把握します。
【ステップ3】シナリオのストーリーラインを構築
企業が選んだ「2つの重要な不確実性」を縦軸・横軸として交差させることで、4つの異なる未来のシナリオを作成します。ここで重要なのは、「こうなってほしい未来」ではなく、「このようになる可能性もある」という視点で考えることです。したがって、シナリオ分析を行う際には、単に「こういう未来がある」と受け入れるのではなく、「なぜそのような未来が起こるのか」「どのような要因が積み重なった結果なのか」を問い、背景にある因果関係を探ることが重要です。
【ステップ4】組織の意思決定を明確化
ステップ1~3を基にしたシナリオ分析を通じて得られた洞察を、組織の中長期的な意思決定(戦略、リスク管理、資本配分など)につなげます。まず、各部門の中堅~上級管理職が時間をかけてシナリオワークショップを行い、その成果をもとに経営陣が戦略的な議論を進める形が推奨されています。シナリオに基づく内省的な対話により、ビジネスモデルの強靭化、新たなビジネス機会(例:ネイチャーポジティブなモデル)やTNFDに沿った開示内容の特定などが可能になります。また、「どの移行経路が現実的か」「何のデータが必要か」「さらなる分析に必要なものは何か」といった問いを通じて、より具体的な戦略選択につなげていくことが求められています。最終的には、不確実性への備えと組織レジリエンスの強化を図ります。
(3)シナリオ分析を実践する際の留意点
以上を踏まえ、シナリオ分析を実践する際の留意点として次が挙げられます。
- ここでいうシナリオは「確率的予測」ではありません。
- 一般的にシナリオは、より長期的(例えば複数年)に顕在化する可能性のあるリスクを特定するためのものでもあります。そうしたリスクは、通常、複数の一見関連性のない不確実性の交点で形を成します。こうした考え方は、TNFDにおけるシナリオの考え方の基礎となっています。
- シナリオ分析は、単一のモデルの変化ではなく、複数の異なるモデルを考慮したうえで行われるものです。したがって、単眼的ではなく複眼的に現状を見ることが問われます。
- TNFDでいう不確実性は、単に分からない、未知である、曖昧であるということではなく、「意味のある確率を付与できないリスクと機会を暗示するもの」として位置付けられています。なお、TCFDの同様のガイドライン(2020)では、不確実性について「シナリオの時間枠内で、ある要因の将来の動向や結果が予測不能な程度を指す。不確実性の指標の一つは、社内の専門家が結果について一致できない場合」と説明されていました。これに対し、TNFDの当該ガイドラインでは、より実際に一歩踏み込んだ、発展的な解釈が用いられています。
- TNFDでいうシナリオは、計画者が考慮するシナリオに基づいて進める計画を表すものではなく、中・長期という複数の時間軸から、かつ複数の角度から組織全体のリスクと機会を見渡したうえでのシナリオと捉えることができます。
自然シナリオと気候シナリオの相違点
自然シナリオと気候シナリオとの対比として、次のような相違点があることにも留意が必要です。
- 温室効果ガス排出の場所は、気候変動への影響には関係ないのに対し、自然に関連する影響、依存関係、リスク、および機会は場所固有のものです。
- 気候変動における1.5℃の全球気温上昇目標に相当する、単一の自然関連の目標や合意された指標は存在しないことに留意が必要です。2022年12月に国連生物多様性条約第15回締約国会議で合意された昆明・モントリオールグローバル生物多様性枠組み(GBF)(2022年)は、グローバルな目標とターゲット、合意された指標のセットを提供していますが、これらのシナリオ分析への組み込みは依然として初期段階にあります。
なお、上記のように、現在、気候シナリオと同様の「即用可能な」定量的な自然シナリオは存在しません。現在、自然や気候の考慮事項を統合した科学に基づくアプローチの開発が行われている最中にあり、そうしたアプローチが確立すれば当該ガイドラインも随時更新がなされていく予定です。
3. TNFDシナリオ分析とレジリエンスの関係
以上のように、TNFDで用いられるシナリオは、定義的には未来志向ですが、単に「こうでありたい」という期待レベルのものではありません。潜在的なリスクや不確実性を見極めたうえで、それらが企業の現行のリスク対応や戦略にどのような影響を及ぼすのかを評価し、幅広い将来的な条件に対して戦略上のレジリエンスを図るためのものとして位置付けられています。
TNFDにおけるレジリエンスとは、「変化と不確実性の中で生き残り、発展する力」を指します。
これは、リスクを機会に変える力とも言い換えることができます。具体的には、次のような力が含まれます。
- 適応能力:ショックや混乱を吸収し、不快な転換点、閾値、および体制変化を回避する力
- 不確実性と驚きに備え、学び、対処する力
- 選択肢を維持し、イノベーションの余地を創出する力
- 危機や持続不可能な開発経路と、罠に直面した際のシステム変革力
4. TNFDのシナリオデザイン方法
上記「2. TNFDシナリオ分析の進め方」で触れたデザイン方法も含め、自然の特性に対応しつつ、気候関連のシナリオ分析から得られた教訓を踏まえて、総じて次のようなTNFDシナリオデザイン方法を基盤に進めることが推奨されています。
| 設計ポイント | 内容 |
|---|---|
探索的シナリオ(Exploratory Scenarios) | 将来における重要な不確実性を探り、多様な「あり得る未来像」を描きます。「望ましい未来から現在へ逆算する規範的シナリオ(normative scenarios)」とは異なります。 |
定性的ストーリーライン | シナリオは質的なストーリーを基盤とし、必要に応じて定量的分析を追加して議論を深める構造です。 |
ビルディングブロック方式 | 標準化された要素を組み合わせることで、企業が自社の立地や自然に関する文脈に合わせてカスタマイズ可能なシナリオを構築します。 |
2つの重要な不確実性を軸に構成 | 物理的リスクと移行リスクに関連した2軸に基づいてシナリオを設計します。これにより、共通枠組みを保ちつつ、企業固有の事情にも対応できます。 |
柔軟で適応的 | 一律な方法論ではなく、各企業の状況に応じて柔軟に調整できるように設計します。 |
他のシナリオ分析手法との補完性・相乗性 | より高度な定量モデルやツールと組み合わせて、深掘り評価を可能にし、相乗効果を生み出します。 |
中長期的な時間軸 | 自然との依存関係や影響、リスク・機会を見通すために、中期~長期的な視野で設計します。 |
なお、シナリオ分析における時間軸の設定に関して、TNFDの主要な設計特徴の1つとして、シナリオ分析とフォーサイト(展望)演習が挙げられており、3年先の未来を明確に計画するためには、組織は通常5年以上先を見据える必要があるとされています。
5. TNFDシナリオ分析の事例:ダウ・ケミカル社
実際にどのようなワークショップが実施され、シナリオ分析が行われているのか、ダウ・ケミカル社(Dow Chemical Company)の事例を紹介します。
(1)事例の概要
ダウ・ケミカルは、世界100以上の拠点を持つ米国の大手化学企業です。2023年3月、テキサス州レイクジャクソンにおいて、同社の主力製造拠点である米国ガルフコースト地域の施設を対象に、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)のベータ版「シナリオアプローチ」のパイロットテストとして、15名の幹部や専門家が参加する6時間の対面ワークショップを実施しました。
この製造拠点は、多様なバリューチェーンに関わる製品を生産しており、淡水の供給や湿地による高潮・洪水防止といった生態系サービスに大きく依存しています。過去の異常気象(2021年の寒波やハリケーン、干ばつ)も踏まえ、自然関連リスクの現実的な影響について議論しました。
(2)シナリオ分析の内容
ワークショップでは、TNFDが用意した3つのシナリオを活用して、2030年の世界とダウの事業の将来を予測しました。
シナリオ1:Sand in the gears(物事の進行を妨げる障害や混乱)
政策や社会の対応が遅れ、自然資本の悪化が進行するシナリオです。頻発する気候災害や水資源の制約により、製造プロセスや供給網に大きな支障が出るリスクが高まります。
シナリオ2:Back of the list(後回し)
自然関連リスクへの取り組みが企業・政府レベルで十分に優先されず、移行リスクが増大するシナリオです。法規制や市場の変化によって、事業継続やコスト構造に大きな影響が及ぶ可能性があります。
シナリオ3:Ahead of the game(先手を打つ)
ダウ社を含む社会全体が自然資本保全に積極的に取り組み、リスクを機会に変えるシナリオです。湿地の保全・再生、水資源管理への投資が進み、事業の持続可能性が高まります。
(3)主な示唆・対策案
- 早期警戒シグナル(early warning signals)の特定
- データ活用による意思決定支援体制の整備
- 湿地の再生によるハリケーン対策強化
- 将来の水不足に備えた水資源管理・投資の加速
6. まとめ
本コラムでは、TNFDガイダンスに見るシナリオ分析方法について解説しました。全体的に見て、TNFDのアダプター(導入企業)の中でも、戦略上の開示項目である「レジリエンス」に関しては、対応の成熟度がまだ低いとされています。その意味でも、レジリエンスの考え方を戦略上にしっかり取り込んでいくためには、ここでいうシナリオ分析が欠かせません。ここでのポイントを押さえることは、TNFD対応を経営上戦略的に前に進めるうえで極めて重要になると考えられます。
