大相撲は、日本古来の神事や武術を起源とし、長い歴史と伝統を誇る国技として多くの人々に親しまれています。その厳しい勝負の世界に身を置く力士たちは、日々の過酷な稽古を通じて心技体を鍛え上げ、本場所の土俵で観客を魅了する存在です。近年は、2025年10月に34年ぶりとなるロンドン公演がロイヤル・アルバート・ホールで開催され、2026年6月にはパリのアコー・アリーナにおいて約30年ぶりのパリ公演が実現するなど、大相撲の国際的な広がりも一段と進んでいます。外国出身力士が横綱・大関をはじめ上位の番付に名を連ねる状況も定着して久しく、土俵上では多様な国籍の力士たちが競い合う光景が当たり前のものとなりました。しかし、土俵上の華々しい活躍の裏側で、一人の職業人として直面しなければならないのが、税金に関する管理と毎年の確定申告という複雑な実務です。力士の収入や経費の構造は、一般的な会社員はもちろんのこと、他のプロスポーツ選手と比較しても極めて特殊な性質を持ち合わせています。さらに、相撲界の国際化は、海外公演に伴う所得の取り扱いや外国出身力士の居住者判定、母国に家族を残す力士の扶養控除の適用など、従来以上に複雑な論点をもたらしています。そのため、税務上の正しい知識を持たずに確定申告を行ってしまうと、適正な経費の計上漏れが生じたり、税務調査において予期せぬ指摘を受けたりするリスクがあります。本記事では、税理士法人の専門的な視点から、力士特有の収入構造から後援会による支援の取り扱い、経費のボーダーライン、そして将来を見据えた税務管理までを詳細に解説いたします。
1. 力士の確定申告における基本構造
日本相撲協会に所属する力士の税務上の位置づけは、他のプロスポーツ選手とは異なる独特な構造を持っています。多くのプロスポーツ選手が完全な個人事業主として活動しているのに対し、力士は日本相撲協会という組織に所属し、そこから定期的な給与を受け取るという「給与所得者」としての側面を併せ持っています。具体的には、十両以上の関取になると、相撲協会から毎月決まった額の月給が支給されます。この月給は給与所得に該当するため、相撲協会側で源泉徴収が行われ、年末調整の対象にもなり得ます。なお、幕下以下の力士養成員には月給はありませんが、本場所ごとに支給される「養成員場所手当」や「幕下以下奨励金」も、給与所得に該当し、関取の月給と同様、雇用に類する継続的な関係に基づく所得として扱われます。
しかしながら、力士の収入は相撲協会からの月給だけに留まりません。本場所での活躍に応じて獲得する懸賞金や、後援会からのご祝儀など、多岐にわたる収入源があります。これらの月給以外の収入に関しては、給与所得ではなく「事業所得」「一時所得」または規模等により「雑所得」として扱われるのが一般的であり、力士自身が個人事業主としての立場で確定申告を行う必要があります。つまり、力士の確定申告は、給与所得と事業所得・一時所得等という複数の異なる性質の所得を総合的に計算し、正確に申告しなければならないという複雑な構造の上に成り立っています。
2. 月給・場所手当・懸賞金・賞金をどう整理するか
力士の収入構造において最も特徴的なのは、番付によって収入の形態が劇的に変化するという点です。十両以上の関取には毎月の給与や各種手当が支給されますが、幕下以下の力士養成員には月給が存在せず、本場所ごとに支給される場所手当などが主な収入源となります。このように、番付という厳格な階級制度が収入体系の根本を決定づけていることを理解することが、税務管理の出発点となります。
その上で、確定申告において慎重な整理が求められるのが、本場所の土俵上で獲得する懸賞金や各種賞金の扱いです。懸賞金は、指定された取組に勝利した力士に対して企業等から提供されるものであり、一般的には相撲協会からの給与ではなく、力士個人の事業所得等に該当します。懸賞金が土俵上で手渡される際には、あらかじめ相撲協会によって事務費や源泉所得税などが控除された後の金額が渡される仕組みとなっていることが多いため、確定申告の際には手取り額ではなく、控除前の総額を収入として計上し、すでに引かれている税金等を正確に精算する処理が求められます。
また、幕内最高優勝を果たした際の優勝賞金や、殊勲賞、敢闘賞、技能賞といった三賞の賞金については、実務上、「表彰金及び名誉賞」として一時所得に区分されます。これらの賞金や懸賞金は、開催場所や取組の成績によって大きく変動するため、年間を通じてどの場所でいくらの収入があったのかを明細書等に基づいて正確に帳簿に記録していくことが、適正な確定申告を行うための不可欠な作業となります。
3. 後援会からのご祝儀・差し入れ・支援金をどう考えるか
プロ野球やサッカーなど他のプロスポーツと比較して、大相撲という競技において際立っているのが、後援会やタニマチと呼ばれる支援者との密接な関係性です。力士が昇進した際や本場所で勝ち越した際などには、後援会の関係者から多額のご祝儀や激励金、あるいは高価な品物が贈られることが少なくありません。これらの支援を税務上どのように捉えるかは、力士の確定申告において最も判断が難しく、かつ重要なポイントです。
一般的に、個人から個人への金銭の贈与は「贈与税」の対象となります。力士が後援会等から受ける祝儀のうち、法人から受けるものは一時所得、個人から受けるものは贈与税の対象と区分されます。また、後援会という組織から受ける金品全般については、一時所得として整理します。
したがって、法人であるスポンサー企業からご祝儀を受け取った場合は、個人からの贈与ではないため贈与税の対象にはなりませんが、一時所得として整理されます。
さらに、現金ではなく、高級食材の差し入れや反物などの物品提供を受けた場合も、それらが一定の経済的価値を持つ以上、収入として認識すべきかどうかの慎重な判断が必要です。このように、私的な支援と事業収入の境界線が非常に曖昧になりやすいのが相撲界の特徴であるため、支援の実態や名目を正確に把握し、税務当局に対して合理的な説明ができる状態を保っておくことが有効です。
4. 必要経費として認められやすい支出と、判断が分かれやすい支出
力士が事業所得の確定申告を行うにあたり、懸賞金やご祝儀などの収入から差し引くことができる「必要経費」を正しく選別することは、適正な税額を算出するための重要なプロセスです。力士の場合、その巨大な身体そのものが資本であり、相撲という伝統文化を体現するための特殊な支出が多く発生します。以下の表に、力士における必要経費として認められやすい支出と、税務上の判断が分かれやすいボーダーライン上の支出の傾向を整理いたしました。
| 支出の主な区分 | 具体的な項目例と税務上の考え方の傾向 |
|---|---|
| 稽古用品・競技用具 | 日々の稽古で使用する稽古まわし、テーピング、サポーターなどの消耗品は、力士自身が負担した場合には、必要経費に認められやすい項目です。 |
| 化粧まわし・締め込み | 関取が土俵入りで着用する化粧まわしや本場所用の締め込みは一本百万円を超えることも多く、自ら購入した場合は、通常、固定資産として計上し、減価償却により複数年で費用化します。 なお、後援会やスポンサーから贈られた場合は、贈り主の属性に応じて一時所得または贈与税の問題を検討します。 |
| 衣装代(着物・浴衣) | 相撲協会の規定により外出時や場所入り時の着用が求められる点は、業務との関連性を示す一要素となります。ただし、着物や浴衣は私生活でも着用しうる一般衣料であるため、着用義務があることだけをもって当然に必要経費となるわけではなく、私的使用との区別を説明できる状態にしておく必要があります。 |
| 身体メンテナンス費 | 激しい取組による怪我の治療費や、疲労回復を目的とした専属トレーナーへの報酬、マッサージ代などは、必要経費として認められる場合があります。 ただし、一般的な健康維持や私的なリラクゼーションとの区別ができるよう、業務上の必要性を説明できる状態にしておくことが重要です。 医療費控除との重複計上は認められません。 |
| 遠征費・交際費 | 地方場所や巡業への移動に伴う交通費や宿泊費は、力士が個人的に負担した交通費等に限り、業務との関連を記録したうえで経費計上を検討します。また、後援会関係者との会食費用については接待交際費として処理できる場合がありますが、私的な飲食との区別を明確にし、日時、相手方、目的などを記録しておく必要があります。 |
表に示した通り、化粧まわしや着物など、相撲界のしきたりや規定に直接結びつく支出に関しては、一般の事業主とは異なり、経費としての正当性を主張しやすい側面があります。一方で、力士にとって身体を大きくすることも重要な仕事の一部ですが、日常の飲食代や多量の食費は、生活費との区別がつかない「家事関連費」に該当するケースが多いため、経費計上には慎重な判断が求められます。
経費性を否認されないためには、領収書の保存はもちろんのこと、その支出が相撲という事業にどのように直結しているのかを客観的に説明できる証拠を残しておくことが不可欠です。
5. 部屋生活と個人負担が交錯する場面をどう整理するか
力士の税務において特筆すべきもう一つの要素が、相撲部屋という特殊な共同生活の場における費用の切り分けです。一般のプロスポーツ選手は自身の自宅を拠点として活動しますが、力士は原則として所属する相撲部屋で親方や他の力士たちと寝食を共にします。部屋からは、ちゃんこと呼ばれる食事や居住スペースが提供されるため、基本的な生活基盤は相撲協会や部屋からの支援によって成り立っています。
この共同生活という前提がある中で、力士個人が負担した費用をどこまで事業の経費として認められるかを整理することが重要になります。たとえば、地方場所へ移動する際、部屋全体での移動費や宿舎の費用は部屋が負担するのが一般的ですが、関取が自身の付け人を伴って個別に行動する際の交通費や、付け人に対して個人的に渡す小遣い、食事代などを関取本人が負担した場合、これらを事業の必要経費として計上できるかどうかが論点となります。
付け人は関取の身の回りの世話や稽古のサポートを行う重要な役割を担っており、関取が本場所で万全の状態で相撲を取るためには不可欠な存在です。したがって、付け人に対する慰労や食事の提供にかかった費用は、事業を円滑に遂行するための福利厚生的な支出、あるいは交際費に準ずるものとして経費性が認められる場合があります。しかし、それが単なる個人的な奢りや私的な遊興費とみなされないよう、いつ、誰と、どのような目的で支出したのかをこれまで以上に丁寧に記録しておく必要があります。相撲部屋の共同生活で賄われている部分と、関取として個人的に持ち出している部分の境界線を日頃から意識し、明確に切り分けておくことが、正確な帳簿作成の鍵となります。
6. 番付変動・休場・引退後を見据えた税金対策と資金管理
相撲の世界は完全な実力主義であり、15日間の本場所の成績によって翌場所の番付が決まります。十両以上の関取と幕下以下の力士養成員とでは、相撲協会から支給される月給の有無という点で待遇に天と地ほどの差があります。負け越しが続いて関取の地位から陥落してしまえば、それまで得ていた固定の給与収入が突然ゼロになるという極めて厳しい現実が待ち受けています。また、取組中の大怪我によって休場を余儀なくされた場合も、番付の降下とそれに伴う収入の激減は避けられません。
このように、力士の収入は番付の変動や怪我のリスクによって極端な波を描く場合があります。日本の所得税は累進課税制度を採用しているため、ある年に大活躍して多くの懸賞金や賞金を獲得し所得が急増すると、適用される税率も跳ね上がり、翌年に納付すべき所得税や住民税の負担が非常に重くなります。
関取に昇進して収入が増えたからといって、後援会への返礼や見栄のために資金を使い果たしてしまうと、怪我で陥落した翌年に高額な税金の請求が来た際に、支払いが滞るという深刻な事態に陥りかねません。そのため、懸賞金や給与が振り込まれた段階で、あらかじめ翌年の税金を見越した金額を別口座によけておくなど、将来の番付変動というリスクを常に念頭に置いた堅実な資金管理体制を構築することが、力士としての生活を守る最大の防衛策です。
また、懸賞金、後援会からの支援、出演料など、給与所得以外の収入を事業所得として継続的に管理する場合には、青色申告制度の活用も検討対象となります。正規の簿記に基づく帳簿作成や期限内申告などの要件を満たすことで、現行では最大65万円の青色申告特別控除を受けられる場合があります。なお、令和8年度税制改正により、令和9年分からは青色申告特別控除の要件が見直され、e-Taxによる申告や帳簿の電磁的記録保存等の一定のデジタル対応を満たす場合、控除額が最大75万円へ拡充されます。相撲部屋や後援会との関係の中で収入・支出の流れが複雑になりやすい力士ほど、紙の領収書だけに頼らず、日頃から取引記録を電子的に保存・管理する体制を整えておくことが重要になります。
さらに、知名度の上昇に伴い、後援会関連の収入、CM・イベント出演料、物品提供、グッズやSNSを通じた収入などが一定規模に達する場合には、消費税やインボイス制度への対応も無視できません。インボイス発行事業者として登録した場合、免税事業者であったとしても消費税の申告・納税義務が発生します。免税事業者から課税事業者となった小規模事業者向けの「2割特例」は、令和8年(2026年)9月30日を含む課税期間までが対象とされ、個人事業主の場合は2026年分の申告が最後の適用となります。また、令和8年度税制改正では、個人事業者の令和9年分・令和10年分について、売上税額の3割を納税額とする「3割特例」が設けられました。番付や露出の変動により収入が急増する局面では、インボイス登録の要否や簡易課税制度の適用との比較検討も含め、早めに税理士へ相談しておくことが望ましいでしょう。加えて、近年は外国出身の力士が増加しており、モンゴルをはじめ、ウクライナやジョージアなど、さまざまな国の出身力士が土俵を沸かせています。こうした外国出身の力士の税務には、日本人力士にはない論点がいくつも潜んでいます。
たとえば、来日からの年数によっては「非永住者」という特有の区分に該当し、国外の所得の扱いが通常の居住者とは異なってきます。また、母国側でも居住者として扱われて日本と母国の双方の居住者となる場面や、母国に残した家族に関する控除の要件など、いずれも判断を誤りやすい専門的な論点です。
こうした国際的な税務は、個々の事情によって結論が変わりやすい領域です。外国出身の力士やその関係者においては、自己判断で処理する前に、早めに専門家へ相談することが何より重要といえます。
7. 競技に集中するための申告体制と長期的な備え
力士にとって最も重要な使命は、土俵の上で持てる力のすべてを出し切り、ファンに感動を与える相撲を取ることです。毎日の厳しい稽古、身体のケア、そして本場所での極度の緊張感の中で戦い続けるためには、心身ともに相撲に集中できる環境を整えることが不可欠です。しかし、関取となって収入が増加し、後援会との付き合いも広がるにつれて、確定申告に向けた領収書の整理や複雑な帳簿作成といった事務作業の負担は飛躍的に増大していきます。
これらに貴重な時間と精神力を奪われてしまっては、力士としての本分を果たすことが難しくなってしまいます。また、海外公演の増加や外国出身力士の増加により、国際的な税務論点への対応も今後さらに重要性を増していくと考えられます。そのため、トップクラスの関取の多くは、所属する相撲部屋の親方やおかみさんと相談しながら、税務の専門家である税理士に記帳代行や確定申告書の作成を委託する体制を整えています。相撲界特有の商習慣や特殊な経費の判断基準に精通した税理士と連携することで、税務上のリスクを最小限に抑えつつ、青色申告制度などを活用した適正な税務申告を行うことができます。
また、力士としての現役生活は決して長くはありません。引退後に親方として相撲協会に残るにせよ、飲食店経営など全く新たな道へ進むにせよ、現役時代からしっかりとした納税意識を持ち、堅実な資産形成を行っておくことは、セカンドキャリアへのスムーズな移行を支える重要な基盤となります。毎年の確定申告を単なる義務としてではなく、力士としての自身の活動を数字で客観的に見つめ直し、将来の人生設計を考えるための大切な機会として位置づけることが、長く厳しい相撲道を歩み切った先にある豊かな人生へと繋がっていくものです。
