日本の退職所得税制と税務リスク:外国籍役員が押さえておくべきポイント
2025年6月12日
退職所得とは:日本の税制の基本
退職所得とは、日本の所得税における所得区分の一つで、主に退職金を受け取った際に生じる所得を指します。給与所得とは別枠で扱われ、退職金に対して税金の優遇が設けられている点が大きな特徴です。日本では長年勤め上げた従業員や役員に対し、その功労に報いるため退職時にまとまった退職金を支給する慣行があり、税制面でも一度きりの退職時収入に配慮した仕組みになっています。
退職所得の計算方法は、他の所得とは異なり優遇されています。具体的には、受け取った退職金額からまず勤続年数に応じた「退職所得控除額」(勤続年数に応じて定められた一定の控除額)を差し引きます。そして、その残額の2分の1だけが課税対象となる仕組みです。本来は長年の功労に報いるための制度ですが、税負担を軽くできる点を租税回避目的で不適切に利用しようとするケースもあるため、税務当局もこの分野を注視しています。
日本の退職金制度と税務の仕組み
日本の退職金制度は、企業から従業員へ長期勤続の功労慰労として支払われる一時金が中心です。特に日系企業では、就業規則や役員退職金規程などで退職金の計算方法を定め、退職時に所定の金額を支給する慣習があります。税務上、退職金は前述のとおり退職所得扱いとなり、退職所得控除後に2分の1が課税されることでその恩恵を受けます。
計算式を整理すると「(退職金収入 - 退職所得控除額)×1/2」に税率を乗じる形です。この優遇により、仮に多額の退職金を受け取った場合でも、勤続年数によっては通常の給与として受け取るよりはるかに低い税額で済む可能性があります。
ただし近年、この退職所得の優遇措置について見直しが行われています。特に勤続5年以下の短期勤続者に対する退職金については、従来のような2分の1課税が一部または全部適用除外となるルールが導入されました。この改正は短期間で高額な退職金を支給して税負担を軽減するスキームへの対策であり、外資系企業の日本子会社に派遣された役員が派遣され数年で退職・帰任するようなケースに当てはまります。したがって、実際には期待した税制上の優遇を受けられない可能性がある点に注意が必要です。
多額の退職金が引き起こすリスク
退職所得制度は魅力的ですが、支給される退職金の金額があまりに多額である場合、税務上のリスクが生じます。税務当局は、退職金が常識的な範囲を超えて高額になると、「妥当な退職金であるか?」と疑い、優遇税制の適用を否認することがあります。
特に役員に対する巨額の退職金は厳しい目で見られる可能性があります。適正水準を超える部分は、法人税法上は損金として認められず、受け取った個人にとっても退職所得ではなく給与所得として課税がなされるリスクがあります。
多額の退職金支給が引き起こす主なリスクを整理すると以下のとおりです。
税務調査での否認リスク
異常に高額な退職金は税務調査の際にチェックを受けやすく、場合によっては「不相当に高額」であるとして退職所得としての扱いを否認される可能性があります。
個人・法人双方への課税強化
退職所得の優遇が受けられないと判断された場合、その退職金は受給者個人にとっては通常の給与と同様に課税され、最高税率(所得税45%+住民税10%等)の適用を受けるかもしれません。さらに法人側でも、本来損金処理できるはずの退職金が損金不算入となり、法人税の課税所得が増加する可能性があります。個人と会社の双方で想定外の税負担が発生するわけです。
すなわち、「退職金だからいくら高額でも税優遇される」というわけではないという点が重要です。税務上適切と認められる水準を超えた退職金については、制度の趣旨を逸脱するとみなされ、思わぬ税コスト増加を招くことになります。
税務否認の可能性とその背景
具体的にどのような場合に退職金が税務上否認され得るのでしょうか。「退職金として相応しくない」と判断されるケースには次のようなものが考えられます。
金額が功績や規程に照らして過大
退職金額が会社の業績や本人の貢献度に比べて明らかに大きすぎる場合です。客観的根拠なく巨額な金額を設定すると、税務上「不相当に高額」とみなされる恐れがあります。
社内手続の不備
会社法上、取締役など役員に退職金を支給するには株主総会決議など適切な承認手続きを経る必要があります。このプロセスを踏まずに支給された退職金は、たとえ金額が適正でも税務上問題視される可能性があります。
退職の事実が曖昧
形式上は会社を退職していても、該当の役員が実質的に引き続き会社に関与している場合には注意です。その場合、支給額が退職金ではなく役員報酬とみなされる可能性があります。
上記の背景には、退職所得制度の本来の趣旨を守り、恣意的な節税を防ぐという税務当局の考えがあります。日本の税制は長期勤続による功労に報いるため退職金を優遇していますが、それを逆手にとって短期間での高額支給や名目上の退任による節税が行われると制度の公平性が損なわれます。このため、税務当局は退職金の実態をチェックし、形式だけの退職や不相当に高額な支給については是正しているのです。
外国との感覚の違いを理解する重要性
外資系企業のCFOや外国籍の役員にとって、日本と自国の退職金制度の違いは大きな課題です。日本では長期勤続の功労報酬として退職金が根付いていますが、欧米では明確な退職金制度は少なく、解雇補償金や業績連動インセンティブが主流です。この感覚の違いにより、日本の退職金優遇を正しく理解せず、高額支給を正当化すると誤解が生じやすくなります。
しかし、日本では社会通念を超えて支給した高額退職金は税務否認リスクが高く、また会社法上も役員への退職金は原則として株主総会決議が必要となります。米国などでは退職金に特別な税優遇がない一方、日本では節度ある範囲内でのみ優遇が認められる点に注意が必要です。日本の制度を丁寧に説明し、相互理解を図ることが重要になります。
税務リスクを回避するための対策
退職金に関する税務リスクを回避するためには、外資系企業の経理・財務部門がいくつかの対策を講じることが重要です。
まず、退職金規程を整備し、支給額の算定方法や手続きを明文化することで妥当性を担保する必要があります。次に、会社法に基づく株主総会や取締役会での正式な承認手続きを遵守しなければなりません。また、支給額は業績や貢献度、市場相場を考慮して設定し、過大な金額にならないよう注意が必要です。
将来の税務調査に備えて、支給根拠や手続きを裏付ける資料を整備しておくことも有効です。金額が大きい場合は税務専門家に事前相談することで税務リスクと軽減できるでしょう。
退職金に関連する事例と教訓
実際の事例から学べる退職金支給に関する教訓を紹介します。
【事例1:形式的な退任による退職金の否認】
概要:代表取締役から取締役への分掌変更に伴い支給された退職金について、実質的な退職と認められず、損金算入が否認された事例です。
ポイント:
- 臨時株主総会や取締役会の議事録が真正に作成されたものと認められなかった。
- 商業登記がされていなかった。
- 退任後も実質的に代表取締役としての業務を継続していた。
教訓:形式的な役職変更ではなく、実質的な退職であることを証明するため、適切な手続きと証拠の整備が必要です。
【事例②:高額な退職金の一部否認】
概要:死亡退職した代表者の遺族に支給された退職金が、不相当に高額であるとして一部否認された事例です。
ポイント:
- 業務上の死亡により退職した者に対しては、通常の退職給与より多額に支給されるのが一般的であると認められる。
- 比較法人の平均功績倍率により算定した通常の退職給与額に、業務上死亡の退職事情を考慮して税法の取扱いに準じ死亡時の普通給与の3年分を加算した金額をもって適正額とした。
- その金額を超える部分は不相当に高額な役員退職金に当たるとした。
教訓:退職金の金額設定は、業務上の事情や比較法人の実態を考慮し、適正な範囲内で行う必要があります。
【事例③:退職金の支給手続きの不備による否認】
概要:役員退職金の支給に際し、承認手続きが適切に行われていなかったため、損金算入が否認された事例です。
ポイント:
- 社内規定により退職金の支給については社員総会の承認が必要とされていたものの、承認を経ずに退任の事実のみをもって退職金を支給した。
- 社員総会での決議がされていない以上、退任の事実のみをもって退職金が自動的に債務として確定するとは認められない。
教訓:退職金の支給には、規程に基づいた適切な承認手続きを経ることが不可欠です。
まとめ
日本の退職所得税制は税制上魅力的に映りますが、優遇措置は無制限ではなく適切な範囲内での運用が求められます。多額すぎる退職金や形式的な退任は税務当局に否認されるリスクがあり、制度趣旨や日本のビジネス慣行を理解した対応が重要です。
外資系企業のCFOや経理部長にとっては、本社や外国籍赴任者への丁寧な説明、社内規程整備、適正な手続き実施を徹底し、税務リスクを事前に管理することが重要になるでしょう。