統合報告書とは何か ―有価証券報告書との違いとその意義
2025年8月6日
はじめに
近年、上場企業におけるサステナビリティ(非財務)情報の開示は、大きな変革を迎えています。全体としてはSSBJの基準を踏まえた制度整備が進み、有価証券報告書においては気候変動対応や人的資本といった非財務情報の開示が質・量ともに強化されています。
また、統合報告書(Integrated Report)を発行する企業も年々増加しており、2024年度時点では1,000社超、上場企業全体の約3割に達しています。こうした潮流の中で改めて注目されているのが、「法定開示(有価証券報告書)」と「任意開示(統合報告書)」の本質的な違いです。
本コラムでは、今後の連載に先立ち、両者の役割と違いを整理したうえで、統合報告書に求められる基本的な考え方を解説します。
有価証券報告書:法定開示に基づく制度的な情報基盤
有価証券報告書は、金融商品取引法に基づく法定開示書類であり、すべての上場企業に提出が義務付けられています。記載内容や様式は内閣府令等により詳細に規定されており、企業にはルールに則った正確かつ網羅的な情報開示が求められます。
近年では、従来の財務情報に加え、ガバナンス体制やサステナビリティに関する開示の強化が進んでいます。たとえば、気候変動への対応や人権尊重に関する方針・体制・リスク管理に関する情報に加えて、人的資本に関する定量データ――具体的には、女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差などの開示が制度的に求められるようになっています。
こうした有価証券報告書における情報開示は、主に投資家を対象としており、投資判断に資する正確性や比較可能性が重視される点が特徴です。(※制度の詳細については、別コラム 「有価証券報告書におけるサステナビリティ開示制度化の経緯と概要(2025年5月14日)」などをご参照ください。)
統合報告書:価値創造を“語る”自由度の高い開示媒体
一方、統合報告書は、法的な義務を伴わない任意の開示媒体であり、財務情報と非財務情報(サステナビリティ情報など)を一体的にまとめて、中長期的な価値創造の全体像を伝えることを目的とした報告書です。厳格なフォーマットは設けられておらず、各組織の特性や状況に応じた柔軟な開示が可能です。
しかしながら、一定のルールや枠組みは存在し、たとえばIIRC(国際統合報告評議会)が提示するフレームワークでは、財務と非財務の情報を単に並列に記載するのではなく、「価値創造ストーリー」として、企業が「どのように価値を生み出し、持続的に成長していくのか」を、戦略やビジネスモデルと結び付けて一貫した物語として伝えることが求められています(※価値創造ストーリーについては別途解説)。
また、統合報告書の主たる対象も「財務資本の提供者=投資家」である点では有価証券報告書と共通していますが、より広く他のステークホルダー全般をも視野に入れた記述が想定されており、企業価値に対する多様な関心に応える媒体としての性格も有しています。
統合報告書の質を高めるための5つの視点
統合報告書は、どちらかといえば、内容が網羅的で整っているかどうかという「形式面」よりも、「実質面」を重視すべき媒体であるともいえます。とりわけ、「どのような構成で、どんな情報を、どのように語るのか」といった一貫性のある内容設計が、報告書全体の質を大きく左右する重要な要素となります。
以下に挙げる視点などは、統合報告書の質を高めるうえで重要なポイントとされています。
マテリアリティ(重要課題)の設定
企業にとってなぜその課題が重要なのか、どのように取り組んでいるのか、そしてその取組みが財務・非財務の両面でどのように企業価値の向上につながっているのか――こうした点を明確に示す、説得力のある開示が期待されています。
『 価値創造プロセス』の可視化
財務資本に限らず、人的資本・知的資本・社会関係資本など、6つの資本をどのように活用し、価値創出につなげているのか―その構造を、図解やフローを用いて論理的に可視化することが求められます。あわせて、その中での自社の強みや、ビジネスモデルを明確に示すことが重要なポイントとなります。
説得力のあるトップメッセージ
経営者自らの言葉で、長期的なビジョンや現在直面している課題、そして企業としてのありたい姿を、誠実かつ熱意をもって語ることが、共感や期待感を引き出すカギとなります。したがって、一般的な表現にとどまるのではなく、経営者としての「意思」や「覚悟」がにじむ内容であることが求められています。
オリジナリティの訴求
一般的な情報を網羅的に並べるのではなく、また他社の模倣にとどまるのでもなく、自社の歴史や文化、経営課題や価値観に根ざしたストーリーを展開することが、「この企業ならではの統合報告書」としての存在感を高めます。
メリハリのある内容構成
すべての取組みや情報を均等に扱うのではなく、戦略的に重要な領域に重点を置き、強弱をつけて伝えることで、読者にとっての理解や印象が深まります。
有価証券報告書と統合報告書は「補完関係」
ちなみに、有価証券報告書と統合報告書は、対立するものではありません。むしろ、それぞれの特性を活かして両立させる「補完的な関係」にあると捉えるべきです。たとえば、有価証券報告書は、制度に基づいて一定の簡潔性が求められるため、個々の情報の背景や意義までを詳述することが難しいという面があります。
一方で、統合報告書は、そうした事実やデータの背後にある企業の戦略や価値創造の道筋を「物語(ストーリー)」として丁寧に描くことができる媒体であり、読み手の理解や納得感を深める役割を果たします。
したがって、両者を組み合わせて活用することは、企業の価値創造をわかりやすく魅力的に伝えるための理想的なアプローチであり、それぞれの媒体特性を活かした情報発信は、今後ますます重要性を増していくといえるでしょう。
最後に:統合報告書は「未来を語る戦略的媒体」
有価証券報告書が、どちらかといえば制度的に「現在の状況」や「事実」を記録する情報開示書類であるのに対し、統合報告書は、「未来のありたい姿」や「価値創造の道筋」を描く、戦略的かつ物語的な媒体であるといえます。したがって、企業の未来像やサステナビリティへの取組みに、読み手である投資家やステークホルダーが共感し、ワクワクできるような統合報告書が求められています。
現在、日本国内においても、「日経統合報告書アワード」やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による『優れた統合報告書』の選定など、企業による統合報告書の量的な普及と質的な向上を後押しする取り組みが広がっています。
こうした動きは、報告書そのものの競争力を高めるだけでなく、企業経営の透明性やサステナビリティ対応の高度化にもつながってきています。
次回以降のコラムでは、統合報告書の発行が本格化する契機となったIIRCフレームワーク(国際統合報告フレームワーク)の概要を取り上げるとともに、今回紹介した「5つの視点」などについても、実務的な観点から深掘りしていきます。あわせて「優れた統合報告書」として評価されている企業の記載内容や工夫もご紹介しながら、これからの統合報告書のあるべき姿を考察してまいります。