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前川 研吾 Kengo Maekawa

この記事の著者

前川 研吾 Kengo Maekawa

ファウンダー&CEO  / 公認会計士(日本・米国) , 税理士 , 行政書士 , 経営学修士(EMBA)

カーボンクレジットと企業のESG戦略

2025年7月4日

ESGと脱炭素:企業の説明責任が問われる時代

気候変動への対応はもはやCSRや環境部門だけの課題ではない、という認識は年々、企業の関係者のあいだでも、拡がっているのではないでしょうか。その流れの中で、企業経営そのものの中核に入り込む課題として、カーボンクレジットへの注目が急速に高まる傾向にあります。

広く知られるように、カーボンクレジットとは、他者によるGHG削減・吸収の成果を「クレジット」として取引可能にしたものです。自社の直接的な削減だけでは限界がある中で、企業がカーボンニュートラル(実質ゼロ)を実現するための補完的手段として位置づけられています。なぜ「カーボンクレジット」なのでしょうか。

そもそもですが、カーボンクレジットへの注目は、2015年のパリ協定をはじめとするグローバルな要請からはじまりました。パリ協定では、「産業革命前の水準を基準に、世界の平均気温の上昇を2℃未満に抑える」こととし、さらに「気温上昇を1.5℃未満に抑えるための努力を追求する」ことを目標に定めてきました。特に、そのパリ協定6条で、国際的な温室効果ガス排出削減の取引の仕組み=カーボンクレジットメカニズムの基盤がつくられました。

振り返ってみると、ついこの前までは、今世紀末までに地球の気温上昇を1.5℃に抑える必要性が強調されてきました。というのも、国連傘下の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、1.5℃の閾値を超えると、より深刻な気候変動の影響――たとえば、干ばつや熱波、大雨の頻度と深刻度の増加――が引き起こされるリスクが高まると指摘していたからです。地球温暖化を1.5℃に抑えるためには、温室効果ガスの排出量をこれ以上増やさないようにし、遅くとも2025年までに増加を止めて減少に転じる必要があること、2030年までに排出量を43%削減しなければならないと考えられてきました。

しかし、既に今もはや2025年。様々な世界の科学的データによると、1.5℃を越えるのは時間の問題あることが確認されており、また世界の気候変動は依然として改善の兆しが見られないようです。その間に、気候変動は既に顕在化しており、IPCCが予測していたような気候変動の影響は、日々顕在化しています。

例えば、毎日異常に暑いという夏が既にはじまっています。その原因は長年人間が自然界の中に過度に介入続けてきた結果といっても過言ではありません。様々な科学の見解に基づくと、この暑さはこれからも、益々続くことになるでしょう。そうした暑さに限らず、気候変動は異常気象をもたらし、農作物に悪影響をもたらし、海水温度上昇のために魚介類をはじめ海のいきものにも影響をもたらしています。また私たちの健康状態にも影響を及ぼします。

そのようにして、気候変動によって暮らしや営みを支える生態系サービスの機能が衰え、ひいては、気候リスクが企業の財務リスクにもなり、経営にも影響を与えかねない状況にあるといえるでしょう。企業を率いる経営者の方々は、こうした気候リスクと財務リスクの関係をまず、差し迫った我が事として捉えて頂くことが不可欠になります。こうした状況が我が事になってこそ、なぜパリ協定をはじめとするグローバルな脱炭素要請があるのか、それに呼応するESG経営の本格化がなぜ要求されているのかが見えてくるのではないでしょうか。

各論(カーボンオフ・SBTi・・)と全体像を捉える

上記を前提に、我々人間の営みを大きく先導する企業がどうアプローチするかが、今後の気候変動の行く末に大きく関わるといっても、過言ではないと思われます。

企業が気候変動に対応するためのアプローチは、大きく三つに分類されます。第一に、自社内での温室効果ガス(GHG)排出削減の努力(例:製造工程の効率化や省エネ)。第二に、再生可能エネルギーの導入(例:PPA契約や自家発電)。そして第三が、カーボンクレジットの活用によるオフセット(以下、カーボンクレジット・オフセット)です。

第三のカーボンクレジット・オフセットとは、ある企業や個人が自らの活動で排出した温室効果ガス(CO₂など)を、別の場所で削減・吸収された排出量(=クレジット)を購入することで「相殺」する仕組みを指します。これに関わる仕組みがパリ協定6条に盛り込まれ、今注目されているというわけです(詳細は2.参照)。

さらに、国際的には企業の気候戦略を「科学的根拠に基づいて設定する」ことが求められています。SBTiは、その代表的な枠組みです。SBTiとは、Science Based Targets initiative(科学に基づく目標設定イニシアチブ)の略称で、2015年に発足しました。国連グローバル・コンパクト、世界資源研究所(WRI)、世界自然保護基金(WWF)、CDPによる共同イニシアチブとして位置づけられ、科学的に根拠のある環境目標を設定することを支援することを主眼に置いています。

具体的には、SBTiは、スコープ3(バリューチェーン全体)を含むGHG削減目標の明確化と、実質排出ゼロへのロードマップを企業に強く促しています。この流れの中で、カーボンクレジットの利用は「削減努力を補う補助的ツール」として慎重に位置づけられる一方、正しく使えば戦略的価値を生み出せる存在として再評価されています。

近年、ネイチャーポジティブ(自然環境の回復と共生を目指す考え方)という概念も広がりつつあります。これと連動して、TNFD(自然関連財務情報開示)のような枠組みが企業に自然資本への影響と依存を評価・開示することを求め始めており、炭素だけでなく生物多様性へのインパクトも問われる時代に既に入っています。

こうした全体像を捉えると、カーボンクレジットは単なる「排出権の購入」ではありません。むしろ、企業の脱炭素戦略と社会的信頼性を同時に支える、複合的なレバレッジツールへと変貌しています。ESG経営の文脈で、企業はカーボンクレジットの「意味」を再定義する必要がありそうです。ここに企業の説明責任が問われる時代が到来していると言えるのではないでしょうか。

カーボンクレジットの基本と制度~種類・信頼性・日本の動き~

カーボンクレジットを企業が戦略的に活用するためには、その種類と制度設計の違いを理解しておくことが重要です。クレジットは一見同じように見えても、背景となる制度や信頼性に大きな差があります。制度の違いを知らずに調達してしまうと、投資家や取引先からの信頼を損なうリスクさえあります。

カーボンクレジットは大きく分けて2つの市場タイプに分類されます。ひとつは、国や地域の法制度に基づく規制市場(コンプライアンス市場)です。たとえば、EU ETS(EU排出量取引制度)や、日本で始まったGX-ETS(グリーントランスフォーメーション排出取引制度)(BOX1参照)などが該当します。これらは主に対象業種が限定されており、法的義務の達成手段として使われます。

【BOX1】GX-ETS(グリーントランスフォーメーション排出量取引制度)は、日本政府が導入を進めている自主参加型の排出量取引制度で、企業が温室効果ガスの排出削減量やクレジットを「排出枠」として取引できる仕組みです。2023年度から試行的な市場が開始され、2026年度以降の本格実施が予定されています。J-クレジット(BOX2参照)や国際クレジットとの連動も想定されており、GX-ETSは企業の脱炭素投資を加速させる「炭素に価格をつける」新たな仕組みとして位置づけることができます。ESG経営を進める企業にとっては、排出量管理やクレジット調達を戦略的に行うための重要な枠組みとなっていくと考えられます。

もうひとつは、企業が自主的に脱炭素目標を達成するために活用するボランタリーカーボン市場(VCM)です。VCMは、世界中の企業や団体が自発的に取引するクレジット市場を指します。法的義務ではなく、企業が自主的な気候目標達成のために購入するクレジットの取引が行われますが、一方で信頼性や認証スキームの選定が重要となります。この市場では、企業が自主的なカーボンニュートラル目標やサプライチェーン排出削減の一環としてクレジットを購入・使用し、グローバルにはVerra(VCS)やGold Standardといった認証スキームが主流となっています。

日本国内では、環境省・経産省・農水省が共同で運営するJ-クレジット制度(BOX2参照)が代表的です。この制度では、再エネ導入や省エネ、森林吸収などのプロジェクトから発行されたクレジットを、企業が購入してカーボンオフセットに活用できます。さらに、GX-ETSと連携する形で、クレジットの流通性や価格形成の透明性が今後高まることが期待されています。

【BOX2】J-クレジット制度は、日本政府(環境省・経済産業省・農林水産省)が共同で運営するクレジット認証制度で、国内での温室効果ガスの排出削減や吸収(例:省エネ、再エネ導入、森林整備)による成果を「クレジット」として認定・取引可能にする仕組みです。企業はこのクレジットを購入・活用することで、カーボンオフセットやカーボンニュートラルの達成に資すると考えられています。ボランタリー市場向けに活用されているほか、今後はGX-ETSとの連携によりさらなる展開が期待されます。

また、グローバルな制度の中には、CDM(クリーン開発メカニズム)やJCM(二国間クレジットメカニズム)といった国際枠組みもあります。CDMは、京都議定書に基づく制度で、先進国が途上国でGHG削減プロジェクトを実施し、その成果を自国の排出削減に活用できる仕組みですが、現在は縮小傾向にあります。一方JCMは、日本が開発途上国と協力し、共同でGHG削減プロジェクトを行い、削減分を日・相手国で分け合う制度で、CDMに代わる日本独自の枠組みです。たとえば、日本と途上国の間で温室効果ガス削減プロジェクトを実施し、その成果をクレジットとして共有するといった仕組みとなっています。

さらに航空業界においては、CORSIA(国際民間航空機関の排出削減制度)が導入されています。国際航空のCO₂排出量を対象としたカーボンオフセットの仕組みです。航空会社が排出量増加分を国際的に認証されたクレジットで相殺する義務があります。特定の規格に沿ったクレジットしか利用できないといった要件もあります。

重要なのは、クレジットの「質」です。削減が本当に追加的だったのか、恒久的か、モニタリングと検証が適切かなど、クレジットごとに信頼性が問われます。これらの評価基準は、VCM市場の成熟とともに厳格化しており、企業は調達先を慎重に選ぶ必要があります。

このように、カーボンクレジットには多様な制度が存在しており、企業がESG戦略の一環として取り入れるには、その違いと意味合いを理解したうえで活用する姿勢が求められます。次に、実際の市場動向と価格の形成要因について見ていきます。

クレジット市場と価格:戦略的調達のために知るべきこと

カーボンクレジットを活用する際に、企業が直面するのが「どのクレジットを、いくらで、どのように入手するか」という実務的な判断です。クレジットは、削減や吸収の成果を証明する証書であり、市場で価格がついて取引されています。ここでは、クレジットの価格形成と市場構造、そして戦略的な調達の視点について整理します。

カーボンクレジットの価格は一律ではありません。価格を左右する主な要因には、以下のようなものがあります。

  • プロジェクトの種類(森林吸収、再エネ、省エネ、メタン回収など)
  • プロジェクトの場所(先進国か途上国か、政治リスクはどうか)
  • 認証のスキーム(Verra、Gold Standard、J-クレジットなど)
  • クレジットの追加性や恒久性などの質
  • 市場の需給バランスや政策動向

たとえば、森林吸収によるクレジットは、自然共生の観点から注目される一方で、火災リスクや測定の不確実性があると価格に影響します。再エネ由来のクレジットは、比較的価格が安定する傾向にありますが、プロジェクトの「追加性」が問われることもあります。

また、近年はネイチャーポジティブやTNFDの文脈が広がり、単にGHGを削減するだけでなく、生物多様性や地域社会への貢献も評価されるクレジットが注目されています。これにより、「高付加価値型のクレジット」が生まれつつあり、価格も上昇する傾向にあります。

企業にとって重要なのは、単価の安さだけではなく、信頼性とブランドへの影響です。不適切なクレジットの使用は、グリーンウォッシュ(環境に配慮しているように見せかけて、実態が伴っていない企業の姿勢や表現のこと)の批判を招き、ESG評価やレピュテーションにマイナスとなる可能性があります。そのため、社内のガバナンス体制や調達ポリシーを整備し、「どの認証制度に準拠したクレジットを、どの目的で使用するのか」を明確にしておくことが求められます。

さらに、世界の規制や市場は日々進化しています。日本国内でも、GX-ETS制度が本格稼働し、排出量の可視化と価格の透明性が高まると、企業の間でクレジットのポートフォリオ管理という発想も広がっていくでしょう。つまり、将来的には金融資産のように、クレジットを「選び、組み合わせ、管理する」ことが企業価値に直結する時代が来ると考えられます。

このように、カーボンクレジットの調達は単なる環境対策ではなく、経営戦略の一部として設計されるべき領域になりつつあります。

企業の実践事例と未来展望:ESG戦略に活かす鍵とは

多くの企業がカーボンクレジットを環境対策から戦略的資産へと捉え直しつつあります。その背景には、クレジットの活用が単なる排出削減の補完にとどまらず、企業価値や社会的信頼につながる要素と見なされていることがあります。

日本企業のあいだでも、再エネ由来のJ-クレジットを活用し、取引先や顧客に対して「見える形で脱炭素に取り組んでいる」と伝える取り組みが広がっています。最近では、サプライチェーン全体の排出を可視化・削減する中で、取引先のクレジット活用を支援する企業も増えてきました。これにより、スコープ3(他社由来の排出)への対応にも広がりを見せています。

注目されているのは、「オフセット」から「インセット」への転換です。「オフセット」は、自社外のプロジェクトからクレジットを購入する仕組みですが、「インセット」は、自社のバリューチェーン内で削減プロジェクトを実施し、それをクレジット化する取り組みです。たとえば、自社の農業サプライヤーと連携して土壌炭素を増やすプロジェクトを進め、それをクレジットとして組み込むといった戦略です。これは、事業価値と脱炭素を同時に実現する手法として期待されています。

まとめると、カーボンクレジットは今や、環境対応の埋め合わせではなく、企業戦略と連動した投資対象へと進化しつつあります。どのクレジットを選び、どう語るかが、企業の持続可能性と社会からの信頼の指標になる時代です。ESG経営を本気で進める企業にとって、カーボンクレジットは欠かせない戦略ツールとなっています。

こうした解説が、企業のESG経営を進める一助となれば幸いです。

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