日本初のサステナビリティ開示(SSBJ)基準を紐解く・その5:傾向と今後の方向性
2025年4月24日
企業を取り巻くサステナビリティ基準を取り巻く傾向
SSBJ基準を紐解くシリーズとして、コラムその1~その4までを振り返ってみます。SSBJは、これまでにも述べてきましたように、一言でいうと、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)提言における4つの構成要素(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)を、気候から全てのサステナビリティ関連のリスクと機会に拡大するための、またこれまでのTCFDへの企業の取り組みをさらに強化するための基準と位置付けることができます。その中身を俯瞰して(鳥の目と虫の目で)見渡しますと、傾向として大きく2点、挙げることができます。
第一に、企業の見通しと、サステナビリティ関連のリスク及び機会とのあいだ、および気候に関わるリスク及び機会とのあいだの「つながり」を多面的視点から捉え、その構造と関係性をしっかり見据える必要性が強まっています。具体的には、下記のような側面の「つながり」が重視される傾向があります。
- 三本の矢のつながり:企業の見通しと環境・社会・ガバナンス(ESG)と気候対応、いわば三本の矢のつながり
- 外部環境とのつながり:外部環境、より具体的には「バリュー・チェーン」、つまり、「報告企業のビジネス・モデル及び当該企業が事業を営む外部環境に関連する、相互作 用、資源及び関係のすべて」(適用基準第4項(12))とのつながり
- 情報間のつながり:「つながりのある情報」(適用基準29項)を軸に次のことが含まれる
- さまざまなサステナビリティ関連のリスク及び機会の間のつながり
- ガバナンス、戦略、リスク管理並びに指標及び目標に関する開示の間のつながり
- サステナビリティ関連財務開示と、その他の財務報告書の情報との間のつながり
- 記述的な情報と定量的な情報との間のつながり
- 気候レジリエンス評価などに使うシナリオ分析のための個々のインプット情報のつながり(情報を組み合わせて得られる情報)
このように多面的な「つながり」を重視し、そのつながりの構造と関係性を継続的に捉えることによって、企業のサステナビリティ視点と財務的視点の両方を同時に見据えたガバナンスや戦略の在り方を含めて定期的に見直すことにつなげていく——。こうしたサステナビリティ関連情報開示の在り方が、SSBJの本質的な狙いになっていくだろうと考えられます。
第二に、企業は、サステナビリティに関わる「不確実性」への対応が求められる傾向にあります。この不確実性は、既に顕在化している気候変動の影響(極端気象、大洪水、海面上昇、熱波、山火事など)や、今後も益々顕在化していくと考えられる気候危機にも関わります。さらに、気候のみならず、サステナビリティ全体に関わる環境や社会が、気候リスクとも絡まって様々な負の連鎖が見られることにも関連します。こうした時代において、明日どこで何がどのように起きるかも予測が難しいことなどを含めた「不確実性」に対して、企業はどのようなアプローチをとるのか、それが企業の事業や社会の持続可能性にも関わってくる——。それへの対応が企業に大きく問われる傾向にあると見ることができます。
上記アプローチに関連して、具体的には、コラムその3やその4でハイライトしてきたように、「サステナビリティ関連のリスクから生じる不確実性に対応する企業の能力」としての「レジリエンス」を定期的に評価し、その評価に基づいて企業の対応を更新することが求められていくようになるでしょう。
今後の方向性
ISSBまたはSSBJのサステナビリティ基準は、今回発表されもので完結したわけではありません。実際、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)は、既に2024年4月に「生物多様性・生態系・生態系サービス(BEES)」および「人的資本」に関するリスクと機会の開示に焦点を当てた新たなリサーチ・プロジェクトを開始しています。
上記の動きは、言い換えれば、自然資本については、気候関連情報開示をさらに一歩踏み込んで、より具体的に企業活動と生物多様性や生態系への影響との関係、生物多様性劣化や生態系崩壊が企業の事業に及ぼす影響、つまりTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)に関わる範囲、またはそれを超える範囲も、射程に入れていく方向性にあると理解することができます。また人的に資本に関連して、そのようにBEESを射程に入れることは、従業員のスキル、経験、健康、エンゲージメントなども高めていくことに関係するようになっていくでしょう。
このように自然資本と人的資本を、財務資本や社会的資本と並行して、企業ガバナンスや戦略の根幹に取り込み、サステナビリティ情報開示を進めていく方向性にあるといえます。
なお上記BEESと人的資本に関するリスクと機会の開示に焦点を当てたプロジェクトについて、ISSBは2025年6月に、フィードバックへの対応及び今後2年間の作業計画とあわせて、アジェンダ協議に関するフィードバックの要約を公表する予定としています。
企業に今後求められるもの
これまでに述べてきたことを踏まえ、企業に今後求められるものとして、大きく3点挙げることができます。1点目は、上記1.企業を取り巻くサステナビリティ基準を取り巻く傾向に対して、紙面上だけでない、本質に根ざした対応です。
特に、1.1)で取り上げた、企業の見通しと環境・社会・ガバナンス(ESG)と気候対応という三本の矢は、もともと重なっているところが多くありますが、それらを「戦略的な」視点からもう一度その「関係性」を社内で見直し、その「関係性」を捉え直した上で企業の見通しを立てることが、極めて重要と考えられます。また1.2)については、SSBJ基準全体が、報告企業自体だけでなく、バリュー・チェーンにも適用されることから(適用基準第4項(12)にも適用されることから、製品又はサービス提供や供給、流通、消費に至るまでの「つながり」を捉え直すことが不可欠になります。
2点目として、1点目とも関連しますが、つながりを見極めたり、関係性や構造を捉えたり、詳細と全体を同時に見るという思考が、重要になってきます、ある程度のつながりは、AIでもピックアップできるかもしれませんが、その企業の関係者だからこそ、実際に経営や運営をしているからこそ、実践知から捉えることができるというように、現場の人材の知識や思考やスキルが関与することが必須になってきます。
上記に関連して、ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)は「統合思考(Integrated Thinking)」を重要視しています。この統合という言葉は誤解を生みやすい言葉でもありますが、上からコントロールするという意味合いではありません。
これに関連して、IFRS財団による説明(ISSB設立時の文書:IFRS Foundation Press Release, Nov 2021)の中で、「ISSBは、Value Reporting Foundationによって開発された統合報告フレームワーク(の作業を基礎とする」と言及しています。ここでいう「Value Reporting Foundation(VRF)」は、統合報告(International Integrated Reporting Council, IIRC)とSASBを統合した団体で、のちにIFRS財団に合流しています。ISSBはこのIIRCの「統合思考」の概念を出発点の一つとしています。
そのIIRCは、統合思考を「組織が、そのさまざまな運営単位や機能単位と、組織が使用したり影響を与えたりする『複数の資本』との関係を、積極的に考慮すること」と定義しています。「資本間の関連性(connectivity)」や「長期的価値創造における戦略との整合性」を意識したもので、統合思考に基づくアプローチと明示的に呼ばれています。
こうした統合資本は、別の言葉でいえば、いわゆるシステム思考や、コラムシリーズで繰り返し述べた「木を見て森も見る」思考と関連します。詳細な部分だけに目を奪われずに、全体を見渡しながら詳細との関係性を捉える力、「木を見て森も見る」力が、企業に、そして企業を構成する人材に求められているといえます。
3点目として、1点目や2点目と深く関わることとして、従来通りでない人材育成が今後、企業に求められていくといえるでしょう。ガバナンスや戦略上においても、こうした統合的思考、「木を見て森も見る」思考ができる人の関与が必要ですし、SSBJに関わる実務上においても、レジリエンス評価をしたり、そのレジリエンス評価のためのシナリオ分析をしたりする人材において、統合的思考力、あるいは「木を見て森も見る」思考力といった、スキルまたは能力が、益々求められる時代に入っています。
まとめ
このように、SSBJは、紙上の対応に留まらず、企業全体のプロセスや体制にも大きく関わってきます。ある意味この機会に、ここで述べたような観点から事業全体や、ガバナンス・戦略の在り方などを見直すいいチャンスかもしれません。
法的な仕組としてはその1でも記載しましたが、現時点では強制適用時期は定められていません。しかし既に、「サステナビリティ情報の開示と保証のあり方に関するワーキング・グループ(WG)」によって、時価総額3兆円以上の企業には2027年3月期から義務化し、1兆円以上の企業は2028年3月期から義務化、さらに時価総額5,000億円以上の企業には、2029年3月期から義務化、2030年以降、プライム全企業適用義務化の案が明らかになっています。
このように、あっという間にそうしたことが法的にも義務付けられる時に近づきそうです。国外に目を向けると欧州各国のみならず、アジア太平洋地域でも既に導入または導入を進める動きが顕著にみられます。
こうした内外の動きに留意しながらも、最終的にはやはり自社のビジネスが今、そして今後、財務資本のみならず、その財務資本に影響し得る、自然資本・人的資本・社会資本といった多様な資本をどう生かし、持続可能な企業価値をどのように創造していきたいかという、戦略的ビジョンをどう描くかが、重要になってくるのではないでしょうか。